日本一の理由(2) | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。

高田GM
 




選手の育成方針は2年前に180度変わったと言われる。




 2軍は03年と04年にイースタンリーグを連覇した。しかし、主力は1軍経験のあるベテランばかり。伸び盛りの若手は試合に出られないことが大きな問題であった。04年のオフにGM補佐役にメジャーフロント経験者が就任。当時「1軍半の選手の調整の場」だった2軍を、勝敗を度外視して選手を育成する機関に変えるという動きが始まった。




 若手が次々と1軍で活躍する西武などを参考に膨大なデータから高卒、大卒の選手が1軍のレギュラーになるために要した打席数や登板数を算出。実戦を通して入団から2、3年で1軍で活躍できる選手に鍛え上げる育成システムを導入したと言われる。

 今季、2軍の成績は低迷したが、成果は1軍でモロに出た。昨季は2軍だった鶴岡が日本シリーズでマスクを被り、3年目の稲田は6月中頃から1軍に定着。昨季まで2軍生活が長かった田中賢介もここから台頭した。




 また北海道移転を契機に球団が打ち出した積極的なドラフト戦略もチーム強化の即効薬となった。今季の82勝のうち、入団3年目までの投手が半分近い38勝を挙げた。その象徴が12勝を挙げた2年目のダルビッシュとルーキーの八木である。04年ドラフトの目玉とされたダルビッシュは当初、複数の球団が指名に動いた。だが、「けがが多い」「性格にムラがある」と指名を見送る球団が相次ぐ中、日本ハムは「実力が秀でている」と当初の方針を貫き単独指名した。見事に2年目でエースに成長。素晴らしい縦回転のストレートはテレビ越しでもそのセンスが伺える。05年の八木は横浜と競合。大学4年で急成長した八木に「即先発ローテーションレベル」といち早くアプローチし、激しい争奪戦の結果、希望入団枠で獲得した。




 長年Bクラスに低迷した球団は、若手の強化方針も監督が交代する度に変わっていたことが問題であった。新たな育成プランも、ドラフト戦略も、北海道に根を下ろして「恒常的な強いチームをつくる」という球団の強い意思の表れであると思う。効果が上がらなかった過去を踏まえ、チーム編成はフロント主導で行い「育成」の長期的なビジョンにこだわった。


 来季に向けて小笠原の抜けた穴は小さくないがこの一貫した球団の姿勢は変わらない。