日本一の理由(1) | ほぼ日刊ベースボール

ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。



日ハム胴上げ




 プレーオフ進出が消えた昨年9月の日本ハム球団事務所。来季の契約交渉のテーブルに着いたヒルマン監督は、強い口調でフロントに「来年は1点を積み重ねていく野球をしたい」と切り出した。

プロ野球史上最悪の1151三振を喫しての5位転落。指揮官は過去3年間続けてきた主にバントをしない強攻策一辺倒の野球に限界を感じていた。フロントはメジャーのプライドを捨ててでも巻き返しに強い意欲を見せるヒルマンに、引き続きチームを委ねることを決意した経緯があった。




 日本ハムはもともと球団OBをコーチに起用するケースが圧倒的に多かった。そのため実績もプライドもある新庄や小笠原に助言をできる人材が皆無だった。「現役時代に実績を残し、ネームバリューがあるコーチが必要だ」。GMの高田が外部からのコーチ招聘に動いた。

まず、声を掛けたのは巨人時代の後輩の淡口憲治。現役時代から独自の打撃理論を持ち、豊富な指導経験も魅力だった。三振を減らす大命題を課し、打撃コーチを任せた。ヒルマン野球の変革に必要な足を使った野球と犠打を指導するコーチに今年引退した川相の次の歴代2位の犠打数を誇る平野謙を口説き落とした。昔ながらの投げ込みで43歳まで現役を続けた投手コーチの佐藤義則を2軍から1軍に引き上げた。


 このコーチ陣が完全にハマった。小笠原は「淡口コーチから自分では分からない、客観的な意見を聞くことができた」といい、初の本塁打と打点の2冠を獲得。チームの三振は254も減る。コーチの平野は、森本稀哲や田中賢介に「ミスを恐れず、積極的に次の塁を狙え」と助言。結果として球界でも随一の1、2番コンビに育てた。

佐藤コーチはブルペンで打席に立ち、1球ごとに選手に活を入れた。力のない球には容赦なく罵声を浴びせ、試合のような緊張感をブルペンに持ち込みんだ。12球団トップの防御率を誇る投手陣になった。




 球団は昨季の交流戦で11連敗した反省を生かした。2人のスコアラーが集めた昨季の相手チームの情報は、関係者が「感想文のようなもの」と漏らすほど稚拙ものだったらしい。今季はスコアラーを5人に増員し、質、量ともにデータを集めた。白井ヘッドは「交流戦対策がシーズンを通して実った。あの情報がなければ今はない」と話す。ヤクルト時代に野村IDを経験した稲葉は「あのころのデータにかなり近い。うまく生かせた」と言う。今季は自己最高の26本塁打をマークした。


 プライドを捨てたフロントと外国人監督の英断と緻密なデータ。失敗から学んだ、球団ぐるみの改革が実を結び、44年ぶりの日本一は実現された。