西本 聖 | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。


西本聖
 




現在30~40代の人はシュートと言えば、平松政次だと思う。伝家の宝刀カミソリシュートは弱小大洋にいながら200勝した事実を考えれば、相当な球であったことが予想される。




20代後半の人間にとっては、シュートと言えば、西本聖である。


巨人時代は江川との2本柱で活躍。ただ、そのプレースタイルは実に泥臭く、その練習量の多さは伝説になっている。人付き合いを一切断り、電車ではいつもつま先だけで立ち、ランニングでは他人以上の距離を走るためにグラウンドの一番外側を走り、集合練習が終わってからもただ1人練習を続ける、という徹底ぶりだったそうだ。




89年に中日のキャッチャー中尾孝義とトレードされ、西本は古巣巨人を相手に20勝したことは記憶に新しい。西本が中日の絶対的なエースに君臨したと同時に、トレードで巨人に入った中尾が平成の大エース斎藤正樹を育てたことは、なんとも皮肉である。




一般的に右投手のシュートはテレビではほとんど曲がっていることは確認できない。ただ、西本のシュートはありえないくらい曲がっていることがテレビでも確認できた。実は彼は被安打が多い。ただ勝ち星を重ねられたのは、シュートで内野ゴロに打ち取ることができたからである。そのためダブルプレーが実に多かった。




彼のシュートはもちろん凄いが、本当に凄いのは彼をささえた努力そのものである。ドラフト外で入団した選手が、あの天才江川と共に巨人のローテーションを守り、トレードされた後も年間20勝を上げ、椎間板ヘルニアからも復活した。その努力、精神力は賞賛に値あうると思う。あのシュートをもう一度見たい。




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松山商業高校から75年にドラフト外で巨人入り。1年目は1軍に上がれなかったものの、76年にイースタンリーグで最多勝を獲得して1軍昇格。77年に8勝5敗4セーブと先発・中継ぎでフル回転し、頭角を現した。80年に14勝を挙げてエースに成長。翌年には18勝12敗、防御率2.58の好成績で沢村賞を受賞している。巨人もリーグ優勝を果たし、日本ハムとの日本シリーズも4勝2敗で制した。このシリーズで2勝を挙げた西本はシリーズMVPに選ばれている。83年には5完封を含む15勝10敗という成績を残して巨人のリーグ優勝に大きく貢献している。87年にも8勝を挙げてチームのリーグ優勝に貢献した。しかし、もう1人のエース江川卓が引退していなくなった88年に不振に陥り、4勝に終わると89年、中尾孝義とのトレードで中日に移籍。いきなり20勝6敗、防御率2.44という自己最高の成績を残して最多勝を獲得した。カムバック賞も受賞し、最高勝率のタイトルも手にしている。中日でエースとして活躍していた1991年、椎間板ヘルニアで戦線離脱し、大手術を受ける。92年に復帰して勝利を挙げたものの、以前のような活躍はできず、93年にオリックスに移籍。オリックスでは先発として5勝を挙げる。しかし、西本は自ら自由契約を申請し、巨人のテストを受けて94年は巨人へ復帰。その年限りで現役を引退した。

沢村栄治のように足を高々と上げて投げ込む球は、絶妙にコントロールされて打者のバットの芯を外した。宝刀のシュートは、右打者の懐深くに鋭く食い込んでいく切れ味があった。また、守備にも定評があり、ゴールデングラブ賞の常連となった。


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通算成績(現役20年・実働18年):165勝128敗17S、防御率3.20、1239奪三振。最多勝1回(89)最高勝率1回(89)沢村賞1回(81)カムバック賞1回(89)ゴールデングラブ賞8回(79~85・89)