ブルーサンダー打線 | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。




野球観戦はテレビで見るならじっくり投手戦、ライブで見るなら打ち合いの乱打戦だと思う。いちばん露出の多い在京球団は、いつもハラハラ、とても真面目にやっている気がしない。お得意のホームラン攻勢で序盤に大量リードを奪っていると思ったら、キッチリ最終回にはお粗末抑えが試合をひっくり返す。そんな試合が昨年は何度続いたことか。


今年もそんな試合が続いてしまうのか?


ただ、現プロ野球選手会長が言うように、プロ野球はやはりエンターテイメント。ホームラン攻勢ができるのも十二分に魅力の一つである。





野球は基本的にディフェンスの強いチームが勝つ。そんな中でも特質な打撃のチームで魅力的だったチームは嘗て多くあった。例を上げれば、85年阪神優勝当時の「新ダイナマイト打線」。数年前の近鉄優勝時の「猛牛いてまえ打線」などが代表である。そんな打撃のチームで筆者の心に特別に残っているチームがある。それは阪急からオリックスに球団が変更した89年時の「ブルーサンダー打線」である。この年は、優勝こそしなかったもののその打棒は圧巻だった。





1(5) 松永 浩美


2(4) 福良 淳一


3(3) ブーマー・W


4(DH) 門田 博光


5(7) 石嶺 和彦


6(9) 藤井 康雄


7(8) 本西 厚博


8(2) 中嶋 聡


9(6) 小川 博文





40歳で二冠王に輝いた門田を獲得するという、かなり熱いトレードが成立。それによって松永が3番から1番に打順が変わった。85年、彼は阪急の伝統的タイトルである盗塁王を獲得。バットの方でも88年はロッテの高沢秀昭と最後まで首位打者を争った。11打席連続四球(日本記録)というロッテの徹底した四球攻めのため、1厘差で首位打者を逃してしまった。





門田の前後を固めるは、ブーマーと石嶺という大砲2人。この年、ブーマーは二冠王を獲得し、石嶺も慣れない左翼の守備をこなしながら、20本塁打を放った。





石嶺で思い出すのは、“サッサ”というニックネームである。名前の由来は、「塁上の走者をサッサと片付ける」から。正直誰もこのニックネームを使っていなかった。そして、石嶺は誰よりもキレイなスイングを持っていた。翌年には37本塁打を放ち、打点王のタイトルも獲得。意外なことに、この年は守備面でも数字を残している。14捕殺はリーグ最多だった。元捕手なだけに肩には自信があったのだろう。





忘れてならないのが、藤井である。89年は同じ左打者の門田に触発され、30発ものアーチを描いた。実はこの男、前年のドラフトで西武が清原和博のクジを引けなかった場合は、外れ1位として予定していたというほどの素材だった。





最後にブーマー。54年アメリカ生まれ。右投右打。一塁手。背番号44(阪急)→23(ダイエー)。アルバニ大からブルージェイズ、ツインズを経て、1983年に阪急ブレーブスに入団。大リーグでは通算打率.228だったものの、阪急では1年目から打率.317、17本塁打を放つ活躍を見せる。さらに、日本に慣れた84年には打率.355、37本塁打、130打点という好成績を残し、外国人初の三冠王となる。チームも、この年、リーグ優勝を果たし、ブーマーはMVPに選ばれている。その後も安定した成績を残し、落合博満との熾烈なタイトル争いを繰り広げた。85、86年は連続で落合に三冠王を奪われたものの、落合が中日に移籍した後は1987年に119打点で打点王、1989年に打率.322、124打点でニ冠王に輝いている。1992年にはダイエーに移籍。この年も、活躍を見せて97打点をあげて打点王に輝くが、その年限りでダイエーを退団し、38歳で引退。


2メートルの巨体ながら、やわらかいリストと長い腕を生かした、しなやかなバットコントロールで極端に三振が少なく、安打と本塁打を量産した。


通算成績:打率.317、277本塁打、901打点、1413安打。首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回。ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞2回。最多勝利打点1回。シーズンMVP1回。





外国人打者は大振りが多い中で、ブーマーのミートの上手さは目を見張るものがあった。さらに、電車に乗って西宮球場入りしたり、球場の周りをママチャリで移動するなど、なかなか突っ込みどころ満載の選手で非常に好きな助っ人外国人の一人であった。ブーマーくらい気になる選手はなかなかいない。





ブルーサンダー打線はまさに、プロ野球史上でも出色の打撃のチームであった。