大学が休みになったので、病院関係の用事が今月は多かった。サークル合宿と帰省の合間には、主治医の診察の予約を入れていたのだが、娘が風邪気味だったため、今回は私だけが提出書類を持っての経過報告となった。
先生の勧めの影響もあったのか、春から公務員試験のための予備校に通っていることを伝えた。
ダブルスクールは体力的にきつくて、6、7月は体調が悪い日がかなりあったこと、予備校に行くため夕方まで横になって過ごす日も多かったことなど、就職にはまだまだ不安があることを話した。
それに対して主治医の意見は「お母さん、それなら障害者手帳を申請してみたら、いいんじゃない?」というものだった。
私も就職時に障害枠が使えないかは気になっていて、本人にも話したりしたのだが、「手帳とか障害枠はもっと重症な人のためにあるんじゃない?(軽症の自分が使ったら悪い)」などと言っているのだ。
たぶん「障害」という言葉に抵抗感もあるのであろう。
対して主治医の意見は「それは、考え方が違うよ。 むろん援助をしてもらうために手帳を申請する人もいるよ。でも働いて、社会に貢献するために手帳を申請する人もいるんだ。条件さえ整えば働くことができる人は、働いて、税金も納めれば、それが援助の必要な人の助けにもなるんだよ。障害があることを理解してもらうツールとして手帳があった方が、理解してもらいやすいと思うよ。それをしないで無理を重ねたら、パンクしちゃうだろ?」と。
それは理屈では娘の障害を理解はしていても、「障害者」と呼ばれることに何か抵抗感を持つ小さな小さな私の心を動かす言葉だった。
まずは市役所に行って相談してみよう。
傍目には何の欠損もないため、分かりにくい障害だから、認めてもらえるかはわからないけれど、動き出してみよう、と決めた1日になった。