ここは、境港駅から歩いてすぐの場所ですよ電球





有料駐車場にレンタカーを停めて、

『妖怪ロード』を歩いていたら、

『水木しげる記念館』がありましたよ下矢印



『ゲゲゲの鬼太郎』は、子供の時にテレビでよく見ていたし📺 身近と言えば身近な存在ですが‥


NHKの朝の連続テレビ小説

『ゲゲゲの女房』は、主役の松下奈緒さんにあまり興味を持てなかったからチュー 見なかったし、それほど『水木しげる』さんについても興味なかったんです知らんぷり



どちらかといえば‥妖怪ばかり描いているので、『水木しげる』さん自身が妖怪に見えるような気がしてた感じ 笑😆






しかし、印象って変わるものですねひらめきびっくり指差し





この『水木しげる記念館』に入って、俄然…『水木しげる』さんが好きになり、興味が沸いてきました キラキラ


のんのんばあ少年でしょうね上矢印






それは‥太平洋戦争という残酷で惨たらしい体験をしながら、不思議な強運もあって生き抜いてきた『武良茂(水木しげるの本名)』という人物を知ったからですキラキラキラキラ






入館料金 大人1000円 👛






鬼太郎と目玉オヤジ
















は、近所に住むのんのんばあから、迷信や地元の言い伝え、死後の世界の話を聞いた事が原体験となって妖怪研究家として知られるようになったそうです上差し








たのしみが多すぎて勉強どころではなかった

当時は、自分の名前を『げげる』としか言えず、ついたあだ名は『ゲゲ』電球





のんびりした性格だったので心配した両親が一年遅れで小学校に入学させた🏫




他の地区のガキ大将グループと抗争を繰り返し、小学校高学年からは、ガキ大将となる指差し









のんのんばあが色々な妖怪を知っていて、それぞれの妖怪がどこにいてどんなことをするのかということを実地で教えてくれた


のんのんばあとは、武良(むら)家で ときおり手伝いをしていたお婆さんの事で、本名を景山ふさ というそうです電球



近所の正福寺(しょうふくじ)で地獄極楽図を前に死後の話を聞かされたり、寝る前には、地域の伝説を聞かされたりと、幼少期のは、のんのんばあから妖怪の英才教育を受けていたそうです😈🤭グラサン







は、幼少期にのんのんばあから境港を離れたあちこちに連れて行ってもらっている。

千年以上の歴史をもつ『美保神社(松江市)』や

のんのんばあが信仰していた『一畑薬師(出雲市)』。

死んだ子供の魂が行くという『加賀の潜戸(松江市)』の話も聞いたという。

神話が残る出雲文化に触れ、『みえないもの』への興味はより膨らんでいった😈







天才少年画家あらわる!

尋常小学校の頃、父親から油彩の道具を与えられた

以降、独学で絵画の世界に没頭し、人物や風景画をよく描いた。

高等小学校に入ってからは、画家でもあった教頭に認められ公民館で個展が開かれて毎日新聞地方版に『天才少年画家』として報道されたキラキラ








夜間中学3年(茂 21歳)の時、召集令状がきた!








東京美術学校の受験のため夜間中学に通っていた茂は、召集令状を受け取り、島根連隊へ入営。

ここから、2年数ヶ月に及ぶ過酷な軍隊生活に入る🔫





この軍隊時代の展示を読み始めると‥引き込まれて‥もっとじっくり読みたい!もっと時間かけたい! 気持ちになりました真顔





が上司の命令で小隊から一人 別の場所に行かされ、その間に小隊の仲間は爆撃され全滅。

一人生き残った茂が、大隊に戻ると「なんでお前だけ生き残ってんだ!お前も死ね!」‥表現が違うかもしれませんが、そんな酷い言葉を上司から言われたそうですガーンえーん滝汗





日本兵が同じ日本兵をいじめて‥ありえない悲惨な状況🪖





そういえば‥昭和9年生まれの私の父(太平洋戦争時は子供です👦)は‥兵隊さん(日本兵ですよ)が、日本国内で威張ってたんでしょうね。「嫌いだった」って話してましたね。





私のおじいちゃんは陸軍として太平洋戦争に召集され無事に帰還しました。

金鵄勲章ももらっています🥇

しかし、帰国後は、白装束で仏壇の前にずっと座っていたそうですお願い






は、左腕を爆撃によって負傷もやもや


切断しなければならないほどの怪我で、麻酔なしで左腕をノコギリのようなもので切り落としたそうですゲッソリゲッソリゲッソリ




負傷した痛みの方が酷く、麻酔なしで左腕を切断される時は、そんなに酷く痛みを感じなかったそうですよ滝汗滝汗ゲッソリガーン







ここまでで、かなりの見学時間を要したので、ここから先は、サッ〜と見なければなりませんでしたショボーン






この記念館は、こんな見応えがある場所だったんですね〜キラキラ








アマビエ

コロナ禍の時も アマビエがよく使われていましたよね気づき



アマビエとは、江戸時代のかわら版に描かれた妖怪で、熊本県の海岸に出現したそうです電球

「病気が流行ったら私の写し絵を見せよ」と予言めいた言葉を残し再び海に消えたという上差し








水木しげる氏は、

あの悲惨な戦争で戦ってきたので‥


どんなつらい悲しい事も鼻くそみたいな事のように感じ 大したことないと思えるそうです!!!!!





いかに戦地で戦う事が地獄絵図なのかがわかりますもやもや






時間があったら、『水木しげる記念館』を もっとゆっくり見て回りたかったですね。




こんなに見応えある記念館だとは、初め想像してなかったです。



人物の背景を知るって大事な事ですね{emoji:088_char3.png.キラキラ}