関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、
1609年 豊臣方への備えとして 名古屋城の築城と、清須から新城下へのまるごと引越しを決定
1610年 名古屋城築城にあたって、徳川家康は、西国大名20家に普請(土木工事)を命じました
現在の大分県から4家
現在の福岡県から3家
現在の佐賀県から2家
現在の熊本県から1家 が命じられました⛑️
この中に我が郷里も入っていたので、名古屋城がより身近に感じられましたよ
1615年には、ほぼ完成して 徳川家康の
九男 徳川義直が 尾張初代藩主として入城しました🏯
以降、名古屋城は、
御三家筆頭 尾張徳川家の居城として栄えました
①尾張名古屋城主‥第9子義直
②紀伊和歌山城主‥第10子頼宣
③常陸水戸城主‥第11子頼房
この御三家は、親藩の中でも別格の家柄として最高の待遇を受けました
将軍に継嗣がない場合は、将軍家を相続する権利を有した
8代吉宗、14代家茂(いえもち)は、ともに紀伊家から宗家を継いだのです
名古屋城観覧料 500円 👛
名古屋城天守閣は、国宝第一号でありながら昭和20年(1945年)に戦災で焼失しており、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造りの天守閣が再建されました。
現在は、耐震性が低いことに対応するため、天守閣は閉館しています。
また、設備の老朽化もあり天守閣の木造復元を進めている最中のようですよ🏯
東門から入ると右手に二之丸が見えます
二之丸庭園
向こうに二之丸茶亭の屋根が見えますね
二之丸庭園は、初代藩主 徳川義直による二之丸御殿の造営に伴い、御殿の北側に造られたのが始まりです。
北園地
十代藩主 徳川斉朝による大改修で 回遊式庭園となり最も隆盛を迎えたと考えられています
藩訓秘伝の碑
勤王の精神について述べられているようです。
二之丸広場前を歩いていると‥熊本藩初代藩主の加藤清正公の像を発見しました
加藤清正公については、以前このブログにも書きました
清正公 石曳きの像
身長190cmもある大男 清正公が、巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている その様子を模したものです
清正公のやり手ぶりと豪快ぶりが わかるエピソードで 「流石だな」と思いましたよ
それと‥清正公の出生地は、そもそも名古屋ですよね
この石垣の普請を頑張って、徳川家康に誉められたんでしょうね
本丸表二之門
名古屋城創建時の建造物です
本丸南側にあり、堅固に造られています。
門の左右は土塀で、鉄砲狭間が開いています