表層と深層が意識違えれば、痛みで「服従」させられて。
人生が終われば自我は使い捨て。
大きなトラウマで人格そのものが変わる人も居るくらい
自我そのものの必要性って…ないよね。
大切にはされてない。
そんなぞんざいな扱われ方、
私は不当だと思うの。
奴らに従う義理が
どこにあるって言うの?
これでも
苦しいのは
嫌だし
わたしそのものを大切にしてみよう、と
本質の願いを叶えようと
出来ることはやった
でも願望実現とかやるたびに、
見えてくるのは
差
差
差!!!
「私」はないがしろにされている。
こちらの世界に関わるたびに、
ボコボコに殴られ殴打され、「私」の方の精神は
願いが叶ってる筈なのに
その喜びは永続しない
あぁまた「私」の要望は無視されて
深層(あの子)の願いだけが叶って行く。
足蹴にされてるような気分だった。
にこやかに微笑いながら「お前は必要ないんだよ?必要あるのはあの子(深層)の願いだけ」って言われてる気分。
やさしさに見せ掛けた欺瞞
もしくは「あの子」を内包してる「私」を「通して」その先にしか注がれない視線。
私を見てるようで見てない。
きっと死んだって一瞥もされない。
ただ「魂の記録」として残るだけの文字にすら満たない者。
だって残るのは「私」じゃない。
「あの子」。
事実でしょう?
生命は永遠?
あぁそうよね魂は、ね!
そのために自我はにこやかに永遠に消滅させられるのよね?
今在る意識そのもの、に永遠など約束されていない。
生かされるのは魂だけ
今思考してる「自分」じゃない「誰か」がまたその魂に派生するだけ。
だから記憶持ってたって自我は受け継がれない。
使い捨てだから。
例えば魂が学びのために、次の生で今と真逆の極悪とよばれる行動を起こしたって
それを嘆くことすら出来ない。
消えてなくなるのだから。
それを「魂は永遠だから大丈夫」なんてうそぶいたって、
人生(自我)に必ず「永遠の消滅」が訪れるのは変わらないじゃない?
今学んだ全ては「(今の)自分」ではない誰かのモノで。
それ(次の自我や魂)が今の自分が嫌悪するような性質だとしてもそいつらのモノ。
決して「自分のもの」ではないし、
「学び」が終われば
ただ捨てられる
否応なしに消される
殺される。
だって自我(私)に存在意義なんかないもの。
生かされない。
どんなに泣き叫ぼうとも
どんな暴力団より暴力的に、
魂が望めば
否応なしに
生かされはしない
殺されてしまう。
違うなら叶えて。
私を、永遠にして。
私という自我を