子供の時、よく言われた、社会は厳しいよ〜という言葉が、どんな意味か疑問に思っていたので、大人になった今、それを書いています。

 

社会は厳しいという理由は、お金を稼ぐ大変さや、貧困などではなくて、思っている以上に合理的でない、感情の疼いている場所だからなのかなという点です。

 

社会は100%合理的に回っているわけではなく、ある場所で支援が足りていないのに、またある場所では、有り余る財産が存在しているとか、支援が少し遅れてしまったが故に、助けることができなかったというような事故や、全てが合理的に回っていれば、起こることのないようなことが、人という感情を通して起こりうるからなのではないかと思いました。

 

もっと詳細に説明すると、例えば、ボランティア精神の豊富な方が職場に多くいると、価格を安く設定してしまい、金銭的に豊かではないとか、贅沢をすることを望んでいるから、金銭を効率的に得るために働くことが可能で、一極集中に財産があるとか、さまざまな立場の感情や、構造が影響してしまい、合理的に考えると、均等性や平等性のある社会の富の分配が行われていないからなのかなと思いました。

 

支援に関しても、支援を得る人に対しての、支援をする立場の人たちの見方が影響してしまい、支援がうまく行われなかったことなど、人の判断には、感情やタイミングが存在していて、このような難しさがあるのだなと思いました。

 

また、もう一つは、さまざまな思惑が存在する社会で、立場によって異なることを言われることがあるからかなと思います。例えば、社会は厳しいから、真面目に勉強しなさいというようのもこの一つなのかなと思いました。こういう人に、社会の厳しさは何か、勉強とは何を指すのか、実際は理解していない場合があるのかなと思います。社会の厳しさとは、その人が今の現状で感じている大変さの可能性はありますし、勉強とは、つきたかった仕事のためのスキルや資格のことを指しているのかもしれません。

 

私からしたら、大人は同じ意味での、社会は厳しい、真面目に勉強しなさいという意味かと考えていましたが、人によって指している言葉の意味が違うことや、そこに振り回されないで欲しいというような思いがあります。

 

学生は、社会の厳しさということに怯えることなく、ぜひ教養をつけて欲しいと思います。教養とは、学校で学んだ内容でもありますし、自分で積極的に得る知識のことです。教養があることで、人の立場や、社会構造についての理解が深まることはあると思うので、社会の厳しさにも、別の視点を持つことができると思います。