今回もいつもながら、千之助からの視点で。



千之助という人間は、凄く情に厚い人間だと

私は考えています。

だから、今まで一度たりとも出逢った悲しみを"乗り越えた"ことは無いのです。乗り越えるということはそれを"置き去りにする"こと。情に厚すぎてその置き去りにすることができないのです。いままでの全ての悲しみを乗り越えずに、全部"背負い引きずりながら"人生を歩んでいるのだと私は考えています。



孤独だからです。それが時に死ぬほど寂しくて辛い。だから他人の悲しみさえも思い出として連れて歩くのです。



その、自分の中で悲しみを置き去りにしないことに整合性をとるために、真正面から向き合わずに茶化したり、邪険にしたりというある種、非道なコトをわざとして、その"罰"で悲しみを背負う、ということをしているのだと私は考えました。



だから、一平の家に集まり、弔いの音頭をとる時に


「地獄のテルヲはんに乾杯〜!」


という台詞を私は付け足し、床に向かって杯を下ろし、手を振ることにしました。



例え、亡くなったテルヲがどんなに悪人でも、

喜劇役者としての冗談といえども、千代という遺族が居る前で、弔いの場で、まずあんなことは言うのは許されません。(千之助の弔いの本当の気持ちを表すために、その後しばらくしてから誰にも見られずにこそっと天に杯を掲げる芝居を私は本番だけのアドリブで付け足しました。よくぞカメラさんが撮ってくれていました。さすがです🙌)


その前の千之助が話した「千代のことを褒めたらテルヲがオイオイ泣いた」エピソードも、千代が知らなかったテルヲの親心や、千之助が千代を褒めた、という、千代にとっては"子として、役者として"本当に大切なことですが、その大切なことを台無しにするように「…という、夢を見た」という言葉を私は付け足し、茶化しました。




なぜか。


先述したとおり、こうすることによって成立する、




「この件の悲しみ(千之助も詳しくは知らないでしょうが、テルオに関する千代が抱える悲しみの一切合切)は、ワシがぜんぶ背負っていかなアカンようになったから、お前は置いてけ。その上をヒョイと乗り越えてけ。ほいで全力で芝居のことだけに集中せえ」



という、


私が考える、千之助のその内なる思いが

大事だと思ったからです。



家で手にお茶を溢された時に、「テルヲに会いに行け」と言ったのもテルヲのことを思ってのことでは絶対にありません。私はそう考え演じていました。


千代のためです。それも


「許させる」ためではなく、

「決着させる」ためです。


そう私は考えました。


放送ではカットされていましたが、

「会いに行け。意地張るな」というセリフの後に、

「気になってなんも手につかへんのやろがい」という大事なセリフが続いていました。


千代のために、テルヲの"死"によっておのずと訪れるうやむやの決着ではなく、 


"死までの僅かな時間の中で千代自身での完全決着"


それをを千之助は望んでいる、そう私は考えました。



千代が許そうが許さまいが、そんなことはどっちでもかまいません。テルヲに会い、交わす。

それだけでいい、それ自体が決着であると千之助は定義していて、それを促した、のだと私は考えました。



そして実は厳密にいうと、千代のためではありません。千代のためですが、「役者・天海千代」のためにだと私は考えています。



有名演劇誌に取り上げられ、家庭劇の今後の注目度が今までとまったく違ってきます。

そんな大事な時期だからこそ、これからの人生で千代を悩ます要素を無くして女優として芝居に没頭できるように。そしてそうなることが、

千代が重要な存在になり始めた一座の未来のためにもなると。



今週の回は、伴侶の一平を始め、道頓堀の仲間たち全員が「人間・千代」のことに泣き、苦しみ、真剣に想い考えてくれていましたよね。


もちろん、お茶の間の皆さんも。



「だからこそ自分だけは、役者・千代と家庭劇のことを真剣に想い考えて動かないとダメだ」と千之助は思ったのだと私は考えました。




「皆でそっち持つんやったらワシがこっち持たんと」



と。



千代をきっちり立たせるために。



もちろん千之助も、真っ先に人間・千代を心配しない訳はありません。でもそっち側は一平と信頼できる仲間たちに任せて、こっち側の「役者・千代」と一座、その先に見えるお客さん、喜劇の未来のために尽力するのが、


千代に対しての須賀廼家千之助という人間の

精いっぱいの厚い情であり、

先輩役者としての矜持だと私は考えたのです。



そして、そうすることが、

千之助が何回か酒を酌み交わしたであろう、

ほんの僅かな時間だけどなんとなく気を許せあったのだろう、(これも放送ではカットされていましたが、テルヲが泣いた水月で「芝居見に来い。そしたら千代がお月さんのような人間やとわかるから」という意味のセリフがあったのです)


"テルヲというクズな友"への一番の手向けになると。


ちなみに私は、前にブログでもいったとおり、

絶対に許せませんけどね😁


千之助もそうですが、

あくまでテルヲへの献杯じゃなく、

千代への乾杯なんです。





※ 写真はチャンキー松本さんの

ホワイトボード絵