どういう理由であれ、一平を意識して役が抜け舞台で芝居に影響が出た千代は、千之助にとっては許せない。だから千之助は、気つけのために千代の頬っぺたを一発張って、「"この芝居のお家さんが自死を止めるために駆けつけ殴った"とかなんとかお客さんに思わせ、その後もアドリブでなんとかこの芝居を最後まで持っていこう」と、袖から飛び出そうとした、と私は考えました。

あんな狼狽えて変な芝居になるのなら、逆に今度は千代から接吻してまた大騒動にしてお客さんや世間を沸かせた方が喜劇役者として100万倍マシじゃ、ボケぇ!!!と。




千代のこの舞台上の姿が、今の家庭劇座員のプロフェッショナルとしての矜持の欠如、"甘さ"の象徴だと、私はそう考えました。自分たちが生まれ育った芝居小屋が無くなる可能性があったにもかかわらず、ヨシヲの事を謝罪する千代をひとことも責めず仲良しこよしの青春ごっこの姿(カットされてましたが、千之助はあの場で「中途半端な芝居しやがったら承知せえへんど」と千代に言い放ちました)、千穐楽を終えて遊び呆ける座員たちの姿が全てです。




厳しくやり合うのではなく、嫌な事を言わずに許せば許すほど悪い意味での結束が強くなっていく。そしてますます厳しくやり合わなくなっていく。その結果、成育・成長どころか、とめどなくとめどなく堕ちていく。政治の世界を始め、会社組織、友人関係等、世の中のそこらかしこで起こっている負のスパイラルです。



元々、喜劇の才能がないので千之助も興味がなくただの小間使いで置いている付き人の百久利が、堅苦しい千之助よりも甘く優しい座員たちとつるむ場面が増えるのは当然だとしても、舞台に挑む姿勢としては自分に通ずるものがある、と千之助が思っていたであろうルリ子でさえも、その忌むべきスパイラルに飲み込まれ始めたとそう私は思いました。




鶴亀家庭劇。"家族だから厳しく指摘し合い"成長していくことこそ家庭だと考える千之助、一方、"家族だから許す"ただただ居心地のいい家庭を望んでいる甘い者たちとその長の一平に対するやりきれなさが、ずーっと続く千之助の苛立ちなんだと私は思っています。



そんな生ぬるい家庭劇において、一平の襲名話も誰がどう見たって期はまったく熟していません。一平を認めた訳ではまったくなく、経営者としてただただ会社の利益を考えただけの大山社長の命令を、一平や一座の惨たる現状を把握できずただただ感情的なものだけで大喜びする、徳利や天晴のベテラン座員たち。こうなると救いようがありません。



ただし、実は、千之助も一平の襲名に対しては大賛成だと私は考えました。それは座員たちの単純安易な考えではありません。先代に対する感情でも、もちろん、一平の実力を認めているからでもありません。





「人が役を創る前に、役が人を創る」





千之助はそう考えているコトに私はしました。



偉そうなことを言いますが我々もそうです。初めから役柄に対して向き合えるわけではありません(天才は知りませんが😁)。いろいろな作品でいろいろな役柄を頂きその責任の重大さに気付くことで初めて"その役をいろんな方向からきちんと掘り下げて考え演じられる"という役者になっていくのだと私は思います。



それと一緒で、一平に天海天海という"役"を与えることで、一平が今まで蔑ろにしていた、父であり師である人物をとことん掘り下げて感じ考えるということをさせる。で、その役に挑み失敗しながらもモノにしていき、やがて外野を黙らせる本物になる。そうなることを願い、期待して、そうすることが使命で義理である千之助は、期が熟していなくても社長命令をただのキッカケとして襲名に賛成する、私はそう決めて演じることにしました。




でもなぜ千代に、天海との固い約束である一平の母の居場所を教えたのか。先代の天海と出会い、同志の天海亡き後もずっと通う、居酒屋「水月」の何十年と座り続けるカウンターの千之助のいつもの席。そこに千代がやってきて座ったのは、出会った時に天海が座った席、そして、口外しないと約束をした席でもあります。


でも、それが一番の理由事ではありません。



まず、鶴亀の大山社長さえ、千之助に気を遣うなか、

真っ正面から立ち向かうのは千代だけです。

そこに千之助が畏れ、また、楽しんでいると私は考えました。で、それを表すために滅多にない千代と2人だけで喋る千之助は声を少しうわずるようにし、喋りのテンポを早くし、先のブログでも書いた目で語り目で聞く千之助なのに、千代と2人だけの時は微妙に目を泳がすように私はしました。


そして、千代の心から本気の言葉には千之助は抗いません。あくまで心から本気の言葉にはですが。



水月のカウンターでの千代の「それでよろしいんやろか!」から後の千代の言葉を聞くと、それはまがいもなく、すべてを受け止め、すべてを包み込む"母"目線の言葉です。しかも"本気"の。

私はそう感じ、千之助はすべてを千代に任したのだと、考えました。



実母が一平にとってどうであれ、千代というこの母がいる限り大丈夫だと。


血の繋がりを凌駕する、

まさにマットン婆さんが表現した、無償の愛です。



で、千之助的には千代に任せたのだから、あとは待つのみです。



全部受け止めて道頓堀に帰ってこい、と。




………毒と出るか薬とでるか。。。




一平がどう受け止め、どう思い、どう考え、どう変化し、、、はたして襲名を受けるのか、、、お楽しみにしてご覧くださいませ。





………で、余談ですが、ドラマの撮影のほとんどは台本の順を追って撮影するわけではありません。おちょやんもしかり。で、この千代とのシーンはかなり最初の方で撮影したので、私の花ちゃんとの初絡み。オンエアでは千之助の「鈍いの、オマエ」という台詞で終わってますが、実は台本はその前の「わーったわい!」まで。その後の千代の「何がわかったんだすか?」からが"にわか"いわゆるアドリブ(初絡みで仕掛けてきやがった!)。で、こっちも負けずにそのあとも延々と丁々発止やり合って、最後は千代に胸ぐら掴まれてました😁
カットがかかった時、これから始まる長期の撮影が役者としてとても楽しみになったのを覚えています。以前のブログで書いたように、とても貴重な、アドリブができる相手を見つけた素敵な瞬間でした。と共に、ネイティヴじゃない言葉なのに完璧な発音で口八丁手八丁を"できやがる"、杉咲花という役者に驚嘆した瞬間でもありました。
………そして、まぁ良くあることなのですが、我々のそのやり取りがオンエアではさっくりカットされてたことにもやや驚きましたが😅