千之助は放火犯を見つけるために、稽古を放っぽり出して、毎日毎日、朝まで夜回りをしていました。(もちろん、大山社長に頼まれたわけではなく、もし頼まれても千之助は社長のいうことをきくような人ではない)


千之助は20年前、若かりし頃に、大山社長が言ってたような鶴亀の劇場買収の大きなゴタゴタに巻き込まれたんだと私は考えました。その時味わったあの余計な不安や恐怖を、今の座員たちからは一刻も早く取り去りたくて。そして何より、芝居を楽しみにしてくれているお客さんたちのために、と。



警戒心を解くために、いつの時代も悪者が舐めてかかる女、子供、年寄りの中から、老婆に変装して。




とっ捕まえて警察に突き出すために?




…いやいやいやいや、そんな生半可なことじゃなく、

自分の手で半殺しにするつもりでだと私は考えました。


芝居小屋ってのは、役者にとっての"家"。
役者はその場所で、お客さんの笑顔と涙と叱咤激励によって生まれて育って巣立ち、そして死んでいく。そんな大切な大切な場所。

そして何より、お客さんにとって、大阪にとって、道頓堀にとって、かけがえのない場所です。軍靴の足音が近づくこの時代にあっての夢の砦というか、聖地というか。



役者の若いヒナたちが生まれて、苦悩しながらも毎日毎日飛び立つ稽古をしながら今まさに育ちつつある、その大切な"巣"を潰そうとし、お客さんの楽しみを奪う畜生を、千之助が"親"として容赦するわけがありません。二度とそんな気が起こらないようにその腐った心と共に腕の一本や二本をへし折って、なんなら息を止めるまで叩きのめし"排除・駆除"するのは当然の本能です。


そんな千之助が、ヨシヲがまさに放火しようとしている現場を見つけた時、そうしなかったのは何故か?


この時点では、目の前のこの放火犯がヨシヲという名で、また、千代の弟だとはつゆほども知りません。



それは、1回目のマッチを擦った直後のヨシヲの"躊躇"がすべてなんだと私は考えました。


登場から今までを見てお気付きの方もいらっしゃるかも知れませんが、千之助はいつどんな時にも、相手を知る手段で"目を第一にする"というキャラクターに私はしました。目で語り、目で聴く。それが、お客さんを喜ばすためにはなりふり構わない、いわばマキャベリストの千之助が生きていくために手に入れた、相手の"真偽"や"真意"、"本気"を汲み取る方法です。ヨシヲがマッチを擦ったその瞬間を目撃して飛びかかろうとしたまさにその瞬間、ヨシヲの目に挿す、怯えと葛藤と哀しみ、残る良心に、ヨシヲの本性というか"性根(しょうね)"を見たんだと思います。




「コイツがやっとるんやない。やらされとる」




役者はどんな状況、どんな精神状態でも請け負ったならば舞台に立ちます。どんな哀しみを背負っても自分もお客さんも騙して演りきらなくてはいけません。喜劇ならなおさらです。だから、いつぞやかハナはんがヨシヲにかけた「役者には向いてまへんな」というのは、「嘘をつける、人を騙せる人間ちゃいますな」と共に「(心の)強い人間ではおまへんな」の意味で、これはあの瞬間に千之助が見切ったヨシヲの性根と全く一致すると私は考えました。



千之助は一流の役者です。しかも百戦錬磨の。

台本に沿って自分の意思・意図で演じている者と、台本に囚われて気付かずに"やらされている"者を見分けるなんてほんの朝飯前どころか、昨日の晩飯前です。

芝居においても何に置いても"やらされている者"なんて千之助にとっては三流、いや、五流以下の相手にする価値のない、いわば、アウトオブ眼中の、手を汚すに値しないモノなのです。


だから、半殺しにせずにとっ捕まえて警察に任せようと判断したのち、余裕の遊び心で得意の老婆の"にわか"で迫ったんだと思います。



ただ、矛盾しますが、役者と同じようにたとえ犯罪であろうと、やらされてる感や、やりとげないコトが千之助的には心底許せないコトだと私は考えました。だから脚本ではお婆さんのままでしたが、あのように台詞の終盤にカツラを取ってグラデーションで千之助に戻って凄むことを演出家に提案したのです。


余談ですが、台本では元々、お婆さんのままだったので今日のヨシオの「あのヘンチクリンな婆さん」の台詞が残ってしまったんでしょうね。まぁ、ヨシヲの負け惜しみにも聞こえるので問題ないですね。



で、もしあの後、千代と一平が駆けつけなかったら、ただただプロフェッショナルとしての気構えというか矜持を、ヨシヲの胸ぐら掴んで叩き込んでいたのでしょうね。


「やるんやったら、やり切らんかい!怖気づくんやったらやるな、ボケぇ!!!」って。




あと、1回目のマッチの炎を吹き消した風は、子を案じるヨシヲと千代の亡き母親か、またはどんな人間でも見捨てずやり直しのチャンスを与える人情の町、道頓堀の神様が吹かせた風だと私は考えました。


どちらにしろ、千之助が救ったのではなく、あの"神風"が炎を吹き消した時点ですでに、ヨシヲと千代をはじめ、皆が救われる運命だった、と。




で、千之助にとって、許せない、半殺しにするべき"本丸"は



「このクソみたいな犯罪の"台本"を書いて、やりきる能力の無い"五流役者"にやらせた"座長"」



だと。



私はそう考え、演じてました。





…あ、ちなみに、今回のお婆さんは、マットンじゃないですよ😁 千之助は老婆の役を得意としていて、あれは座員が稽古していた「隣の婆さん」という演目のお婆さんです。声のトーンもカツラも全く変えてます。



…そして、一平に言った「ヨシオって誰よ!」は、台本の台詞をこう変えて「ガスヨって誰よ!」にこっそり寄せるイタズラをしました😁



………そして、そして、千代とヨシヲ、一平も立ち去った直後、2本のマッチの燃えかす&燃料ひたひたのムシロ&燃料がひたひたに入った一升瓶が残されたあの場で、婆さんに変装した千之助が警戒巡回中の警官に見つかり、状況証拠で荒々しく引っ張られ、無実とわかるまでいわれのない罪で厳しい取り調べを受けた、という裏設定を想像して、泣きながらヨシヲを半殺しにしようと思った私と千之助さんでした😁



…で、ちなみにちなみに、去年末の競馬のG1で、「カレンブーケドール」という、千代役の花ちゃんを連想させる馬と、その名も、そのまま「ヨシオ」という馬が出走してたので、これは「おちょやん馬券だ!絶対来る!」と馬券を買った。


結果、花ちゃんは、怪物馬3頭に次ぐ大健闘の4着。

…で、なんとなんとヨシオは大差の最下位。 リハーサル日に会ったヨシオ役の倉悠貴くんにすべてを話し、胸ぐらを掴む勢いで半殺しにするぞ!と恫喝して「すいませんでした!」と謝ってもらいました😁