舞台上で一平が千代に接吻した時、多少驚きはすれど袖で見ている千之助の目には怒りが射していませんでしたね。それどころか、映ってませんがくるりと踵を返し立ち去る時は、薄ら笑いを浮かべる演技をしました。 


 軍靴の音が近付き、"抱き合う"という台本にも検閲が入る当時での接吻、逮捕から劇団解体はもちろん、団員の解雇、親会社の鶴亀も多大な責任を負う案件でしょう。 


それまでなのになぜ、千之助は怒らないように私は演じたのか。怒るはずありません。一平のあまりにも安直な行為に呆れはすれど、大袈裟にいうと抱きしめてやりたいくらいです。客席を見ましたか?憲兵以外、誰か怒号を上げている人はいましたか?千之助がどんな時も何より第一に考えているお客さんたちはヤンヤヤンヤの大喝采です。戦争が近づき閉鎖的で窮屈な時代、「えらいもん見た!」「わたし、あの客席におったんよ!」「最悪なもん見ましたわ!」タテマエの感情はどうであれ、すべてのあの場にいたお客さんたちは、他人に自慢げに話したでしょう。聞いた人は皆、羨ましがったことでしょう。



 "お客さんを喜ばす" 



 千之助にとってそれ以上のコトは存在しません。もちろん、一平が後先考えずに衝動的にとった、劇団員やその家族を路頭に迷わす可能性がある人としても喜劇人としても座長としても稚拙な行動は、許されるものではないかもしれません。が、芝居に人としても座長にしてももクソもありません。何だったらその「"座長"だとか、"天海の子"だとか"常識"だとかの一平が抱えた"クソみたいなもの"が台本やら芝居やらに悪影響を与えている」と千之助はずっと感じている、と僕は考えていました。 


 その"大切だけど仕事する時には身体から解いて傍に置いておくべきクソ"をヨシオを想う千代の迫真の演技のおかげで思わず投げ捨てることができた、いわば、喜劇人一平の"バースデー"だと僕は考えました。………難産過ぎますけどね。😁

稚拙さと、遅すぎるわ、に対しての「ドアホが、、、」です。



千之助が目指す"台本をただの見取り図とした舞台上でのセッション"、ざっくりいうと「アドリブ(この言葉は圧倒的にわかっていない人が好んで安易に使う言葉で僕は大嫌いなのですが)」は絶対的に"受け手"が大事です。受け手の腕が無いと、セッションにならず千之助のように"やり手のひとりよがりのワガママ"に見えてしまいます。大袈裟に言えば、受け手がしっかりしていればやり手が何をやろうと上手くいくのです。


余談ですが、

私もよくいろんな現場で監督や演出に「どんどんアドリブやってください」と言われたりします。絡む"受け手"を見極めて自粛したら「もっとやってくださいよォ」と。作品の中で"ひとりよがりのワガママ"に見える、自分の評価を下げるスベること誰がします?きちんと受けてきちんと投げ返すことのできない相手とキャッチボールします?しかも投げ合うのはボールじゃなしに、壊れやすくてかけがえのない自分の一番大切なものです。千代や一平、その他の団員たちを育てるためとはいえ、勇気を出して惜しみもなくそれを投げ、相手が落としそうになった瞬間に自分で受け、相手の暴投に必死に飛びつくことを繰り返してきた千之助を僕は心底尊敬します。とてつもなく怖いだろうに。


本筋に戻ります。

一平は稚拙で安易ながら、千代のヨシオを想う迫真の演技にほだされた。それが、元々の台本の「抱きしめる」以上の爆発になった。千代も自分が起爆剤になったことなんてつゆ知らずなので返せなかった。だから"セッション"にならなかった。"始まり"は千代。役者としてもあそこは絶対に機転をきかさないと、と千之助は考えたので、そこまでは舞台袖で見ていて、千代の"返し"が出ないな、と確信した時点で、この芝居はもはやここまでと踵を返しました。酷なようですが、あの場で一平の衝動的で稚拙なアドリブを救えたのは千代だけだったし、"一平の衝動的で稚拙なアドリブ"と見えてしまったのは千代の全責任なのです。もっというと、そのせいで劇団の存在を危うくした張本人と言えるんです。だから千代の才能を認めている千之助の心情は「千代、舞台上やど!お客さんの前やど!おまえなんか返さんかい、ボケ!」なんだと。

もちろん、千之助が演る台本にも検閲が入っています。が、そこは引き出しの数も入ってる量も一平たちとは違う。今までどおりとはいかずとも、良さを殺すことなく手練手管で見事に演じてたのでしょう。その千之助がキスの瞬間組んでた腕を解いたのは、唖然としたからではありません。もちろん一瞬、唖然としましたが、その一瞬後には「この一座の危機、ワシが出て行って笑いにせんと!」と、袖から出て行こうとしたからなのです。稽古も本番も千之助はしっかり見てましたよね。セリフもストーリーも頭には入ってる。"にわか"で繋げてごまかして元のスジに戻すのはお手のものです。でも、喜劇役者として成長した千代が何かを返すことに信じて懸けてみた。その"間"を待ったので飛び入りしてなんとかするタイミングが無くなってしまったと僕は考えています。


だから先出の、「ドアホが、、、」には、返せなかったまだまだ未熟な千代に、そしてまだ未熟な千代を信じた自分に、という自戒の気持ちも入れました。


さて、「抱きしめる」という台本を検閲で「手を握る」に変えられ、本番では「接吻した」一平、台本が「抱きしめる」ままだったら、いくら千代の素晴らしい演技でも接吻するまで芝居に感じ入ったでしょうか。
ただただいかに「抱きしめる」ことだけを考え、それ以上もそれ以下も無かったのではないでしょうか。


だから、一平を「伸び伸びやれる環境よりも、多少の"締めつけ"やストレスがある方が、子供騙し、小手先のテクニックが出る幕もなく、本能から沸き立つ演技ができて、お客様を喜ばせられる本や喜劇ができる奴」と見定めて、今までずっと一平の台本を"検閲"し続け、ストレスをかけ続けている千之助を、私はどうしても嫌うことができないのです。😁