“闘えゲーフラ”誕生の話~その2~ | ホーリズム3~様々な情景…〜

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ラフブロでのブログを継続し、
ブログ生活16年目に突入
僕なりに感じる事を
いろいろ書いてます…

そもそも、
“闘えゲーフラ”が誕生したのは、
10年前の2010年

しかし、何故、
”闘えゲーフラ”なのか?
というと…


その昔、
水戸ホーリーホックは、
“万年下位クラブ”と言われ、

お金もなく、
貧乏な弱小クラブで、

不甲斐ない内容で負けても、
大したブーイングもなく、
勝つ事も珍しいクラブだった

しかし、
サポーターも徐々に
“物言うサポーター”になり、

内容や結果の悪い試合で、
選手を鼓舞するチャントとして、
「タタカエー水戸!」
を使うようになる


最近では、
不甲斐ない内容の試合が
あまりないので、

めったに聞く事がなくなったが、
その「タタカエー水戸!」のチャントから、
言葉をもらって、

“闘えゲーフラ”は誕生した


「すべては勝利のために」
の部分は時に、

木山監督ラストの試合では、
「すべては木山監督のために」に…

塩谷 司選手ラストの試合では、
「すべては塩谷のために」に、

東日本大震災の直後の時は、
「すべては被災者のために」に、

変えた時もあった…