また【まじめ日記】

今日のちょっと長いです。ごめん。







さて、




「挨拶を大事しろ」とよく言われますね。






なんで?って思ったことないですか?



僕は学生時代「なんで?」って思ってました。



誰からも納得できる答えを貰えずに

僕は挨拶し続けていたのですが、

この年齢になって行き着いた答えを

紹介します。




「挨拶をすればお互いに気持ちいいから」

とかそんなフワフワした答えには

落としません。笑




普段から挨拶をしなさい!と

みんなには言ってますので

その真意を文字にして書いてみます。




最初に言っておきますが


これはあくまで僕の感覚です。






挨拶する人間




挨拶しない人間がいたら




僕は挨拶する人間に好感を持ち、

「会話をしたい」と思うようになります。






僕は挨拶しない人間には不信感を抱き、

「会話をしたくない」と思うようになります。










①挨拶をしない人間とは



以外にも多くの方々が、

上記のように思うのではないでしょうか。







つまり、




挨拶しない人間

多くの人間との会話の機会を逃すわけです。






会話の機会を逃すということは

他人の「考え方」や、

その「想い」を知る機会を

逃すことに繋がります。





ゆえに、自分の考えや感じたこと

頼る機会が増えます。






そうです。

どうしても考えが偏る(かたよる)のです。





自分の考えを持つことはとても大切ですが、

他人の考えを知ることも大切なのです。




人間という生物は

他人の考えを知ったうえで

自分の考えを変化させたり

変化させずに置いておいたり

その決定を行えるのです。





この世には、

気の合う人間も合わない人間も

いろいろいます。





いろんな人と出逢って、

想いを知ったり知られたりして

新しい発見が生まれることがあるのです。





頭でっかちで

偏った自分の考えに囚われてしまうと

「文句」が増えます。



偏った人間の考え方は

考え方の範囲が狭く

「許容」の範囲も狭い。





ゆえに「自分とは違う」という感覚から

「えーなんでやねん」という

文句にすぐに行き着いてしまうんですね。





その文句を自分で分解して

成長の過程に繋げていくスキルは

いろいろな経験や対人関係がないと

なかなか身に付かないスキルです。






多くの文句は文句のまま

ストレスというものにカタチを変えながら

吐き出されることもなく蓄積していくのです。

ストレスの蓄積は非常に怖いですね。

だって、自分の生命力を下げます








②挨拶をする人間とは



挨拶をする人間はというと、

人と会話をする機会が多いですから

たくさんの『情報』が入って来ますよね。





たまにその情報の多さが

「迷い」を生むこともあります。





が、

成長の過程にとって

「迷い」は必要性がかなり高い。





だって

「迷い」はひとつの「決定」へ導く

重要な要素だから。




「何かを決定する」というのは

エネルギーが要ります。





決定を間違ったり


中途半端に終わってしまったり


途中で考えが変わったりすることもあります。





しかし、その決定は

比較や参考のうえに成り立ったもので、

納得したものである可能性が高い。



納得した決定はたとえ失敗しても

経験値としてレベルアップに反映される。

ゲームみたいな感じですね。




何よりも納得した決定が成功した場合、

それは経験値を得るだけでなく、

自信に直結する。



そしてさらに他者の評価にも直結しますよね。





こうやって

挨拶をする人間

迷いながら失敗しながら

スキルアップとキャリアアップを

繰り返していくわけです。







③で、結局

挨拶をする人間

挨拶をしない人間





どちらが賢明な生き方なんでしょうか。







僕には迷う要素がなくて

挨拶を大切にしてほしいという

答えに行き着くのです。




自分と深く関わる子どもたちには

成長を続けてほしい、

成長を楽しんでほしいから。







どうか成長の多い人生を送ってください。






そしてその成長をたまには

僕に見せに来てやってください。



それはまた僕の成長につながります。