「誹謗中傷」という言葉が

世間を賑わせています。





誹謗中傷は相手の命を奪いかねないから

絶対にしてはいけないんだ、と

マスコミやコメンテーターたちは言います。





そのマスコミやコメンテーターたちは

「悪い人」たちを、

連日のように「報道」します。

「報道」という名の攻撃なんですけどね。






可愛い奥さんがいるのに

不倫を繰り返した芸能人がいたとしたら、





これでもかというぐらい時間をかけて

その「悪人」が再起不能になるまで

または視聴者が飽きるまで

連日「報道」し続けます。






その「報道」を見た

世間の人たちまで

「ネット上のコメンテーター」に

姿を変えて、

想像しうる範囲で

その「悪人」を「誹謗中傷」します。








本当のことはその夫婦だけが知っているのにね。
















誹謗中傷は「悪」だと

つい最近までみんな言ってたのにね。











不倫された奥さんが

夫を誹謗中傷しているのではない。





誹謗中傷しているのは

そう。全く関係のない人たち。






報道やコメントと呼び名を変えて

誹謗中傷しているだけ。

誹謗中傷をあおっているだけ。







関係ない人間たちの総攻撃によって

「悪人」のレッテルを貼られた

1人の「人生」が「終わる」のだ。







少し難しい話


憲法13条
「すべての国民は、個人として尊重される」



つまり、

「わるいことをした人だから

誹謗中傷されても仕方ない」

という話ではない。




 

社会は汚い。







やり方が汚い。











汚い。










こんな大人の姿を見せたら


子どもたちも汚れていく。






こんな大人たちが

「いじめ撲滅」を口にしているのだから

いつまでもいじめが無くならない。







無くなるわけがない。













10代の自殺は減らない。






減るはずがない。






これから大人になっていく子どもたちが

今の大人の姿を見て

何の希望があるというのか。







もっとまともな大人の姿を見せよう。




希望のある大人像を見せよう。








この国は裕福なだけじゃだめ。





幸福度を上げないとだめ。






これを読んでいる君らは



どんな大人を目指すのか。






これを記す自分は子どもたちにとって


どんな大人にうつってるんだろう。






突然まじめでごめん。