「退屈」について、先日以下の記事がありました。
生きている時間のすべてがつまらなすぎる…人生最大の敵、「退屈」とどう向き合えばいいのか(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
どんなことが書いてあるのかなと思い、読んでみました。
パスカルは、人は、退屈な時間を気晴らしに何かをやろうとする存在である、そうすれば、自分が何者かを直視しないで済むからだ、ただし、それは、自分が何者かに対する考えを失い、本当の自分にたどり着くことを阻害する行為である、と言っているようです。退屈そのものに対する言及と言うよりも自己観照に関する考えですね。
一方で西田幾多郎の弟子の西谷啓治さんは「仕事に飽きた場合は仕事が重荷になるだけだが、何もすることがないという退屈……では、自分というものが重荷になる。……その退屈の底から現われる空虚には、人間をゾッとさせ、粛然とさせる恐ろしさがある。」と言います。
退屈な状態は愛の欠如
退屈な状態というのは、何もすることが無くその時間が苦しい、という事だと思います。
この状態は、根本的には、何もやることの無い時間から逃れたいのに逃れられない、というコンフリクトから発生していると思います。結局のところ、楽しいことがしたい、でも、今は何もやることが無く楽しくない、従って逃げたい、でも、逃げられない。そのコンフリクトに苦しんでいると言えるでしょう。
結局、この何もない空白を受け入れることができない、そこから逃れたいという心の弱さが、退屈という感じ方としてその人に現れていると言えると思います。これは、自分が楽しさが欲しいのにそれが得られない苦しみを原因とし、つまり、愛の欠如です。
空白な何もやることの無い時間というものは誰にでもあります。それを退屈と思うのか、または、空白を味わうことができるのかは、その人次第です。空白を排除すると言うのではなく、空白を愛することができることが大切です。
空白な状態とは、忌み嫌い排除すべき類のものではありません。私は、空白にこそ、愛があり、そして、それを味わうことができるからこそ、人生が豊かになる、と思います。
空白を嫌い、それを排除するために、スマホやゲームで埋めようとする行為は、依存症的な状態です。こういう人は、空白を「退屈」を思うことでしょう。ところが空白を愛することができる人にとっての空白は、これは、「心の安らぎの時間」となるのです。心の余裕を育む時間であり、平静心を育む時間となります。
一日10分ほど何もやらない時間を作る、電車の中ではスマホを見ない、など、空白を感じる時間を持つようにすると思います。そうすれば心の余裕ができて、より豊かな人生となることでしょう。
詳細は、以下も参照してみてください。
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