前回ゲーデルの不完全性定理を扱いました。

 

関連事項としてカント―ルという数学者の連続体仮説について考えてみます。

 

これも、実は非常にスリリングであり、人間の知の限界を示す一つの事例となります。

自然数の個数=偶数の個数=有理数の個数

カント―ルの連続体仮説とは何かを議論する前に、「無限」に種類があることを知る必要があります。

 

  1、2、3、・・・

 

と自然数を数えていくと、自然数は無限個あります。

 

では、これを、同じように偶数とすると以下のように記載できます。

 

  2,4,6,・・・

 

この偶数の個数は、上記自然数の奇数部分を排除しているので、自然数の個数より小さく思えるでしょう。

 

しかし、実際には、自然数の個数=偶数の個数であり、同じ無限個存在することになります。

 

これは、奇数であっても有理数であっても、同様なようです。

自然数の個数<実数の個数

ところがこれを実数にまで拡大すると、自然数の個数<実数の個数という関係が成り立つようなのです。

 

自然数の個数は無限個あり、また、実数の個数もまた無限個あります。

 

自然数の個数<実数の個数ということは、実数の無限は自然数の無限よりも大きいことになります。

 

従って、無限にも大小の種類があるのです。これは、不思議なことですが、そのようになるようです。

カント―ルの連続体仮説

カント―ルの連続体仮説とは、この自然数の無限と実数の無限の間にまた更なる無限の種類は存在しない、というものです。

 

これがカント―ルの連続体仮説であり、実際には難問過ぎてカント―ルにも解決することはできませんでした。

ゲーデルの不完全性定理とカント―ルの連続体仮説

しかし、カント―ルの連続体仮説は意外な形で決着がつくこととなりました。

 

ゲーデルの不完全性定理です。

 

結局、カント―ルの連続体仮説は、正しいも正しくないも証明できない問題であることが分かったのです。

無限とは何か?

このカント―ルの連続体仮説は無限を扱い、いわば、無限は、知的認識の対象外、と言う風に言っても良いのかもしれません。

 

カントの『純粋理性批判』にも非常によく似ていて、カント的に言うと、無限は理性的認識の範囲外、という事になるだろうと思います。

 

数学には素数という分野があり、この素数は現実世界において素粒子に対応されるのではないか?と言われています。

 

私は、数学とは理性的認識によって人間が構築したものでありますが、実は現実世界に対応している、のではないかと思っています。

 

つまり、「数学を探求すること=現実世界を探求すること」、であると私は思っています。

 

では、この「無限」とは一体何か?これが現実世界へ対応するとどうなるか?と言うと、これに該当するのが、やはり神であるとなると私は思うのです。

 

カントによると神は理性的認識の範囲外におかれますが、ゲーデルの不完全性定理によって無限は理性的認識の範囲外に置かれます。同じことです。

 

数学は非常に厳密な学でありますが、この数学を探求する先に、厳密に探求された先に、神の存在が感知される、そのように思います。数学は大変重要な学問であると言えるでしょう。

 

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