「幸せになりたい。」

 

多くの人はそのように思っていると思います。

 

私は、以前、幸せとはほんのちょっとの何気ないこと事でも感じ取れるはずだ、感じ取れないのであれば、それは自分の中の何かがおかしい、と思っていました。

 

つまり、例えば、道ばたに咲く小さな一輪の花を見ただけでも幸せな気持ちになれるはず。もしなれないのであれば、自分の中の何かがおかしい。そのように思っていました。

 

しかし、実際の私は、道ばたの花を見て確かにうれしくは思いますが、しかし、何かしらもっと幸せが欲しい、という不満足感を抱えている。そして、それはずっと変わりませんでした。

 

 

そう感じていたわけですが、あるとき、ふっと気付くものがありました。つまり、「道ばたの花を見るだけで幸せになれるはず」という自分自身の心自体が幸せに執着しており、花から幸せを搾取しようとしており、「欲する心」を持っているがゆえに幸せになれない。そのように気付いたわけです。

 

つまり、幸せを欲すると、自分が求める幸せの最大値と今得ている幸せの差分、それが幸せを達成できていない部分となりますが、その差分があるがゆえに幸せになれません。どうしても、最大限の幸せを感じることができません。その差分に苦しむことになる。欲するがゆえに幸せが奪われるのです。

 

では、どうすればよいのかと言うと、幸せが欲しいという気持ちを、自分自身の外部から幸せを搾取しようという気持ちを捨て去る。そして、外の状況を「あるがまま」を受け入れるのです。自分自身の幸せを欲する思考を排除して、ただあるがままを受け入れる。

 

あるがままを受け入れる、というのは、幸せに条件を付けていないので、外の状況がどうあっても関係ありません。自分自身の幸せが外の状況に左右されません。それゆえに、無条件で幸せを得られるのです。ここで言う幸せの感覚は、母親が木漏れ日の中小さな子供を慈しむような、静かな優しい気持ちです。そういう思いになっていく。

 

ですから、幸せになりたいのであれば、幸せになろうとして自分自身の外部を変えようとするのではなく、また、より楽しい状況を求めてさ迷い歩くのではなく、自らを変革し、自分の外側をあるがまま受け入れること、受容することです。

 

外部を変えるのではなく、内部を変革し、外の状況に条件を付けることなく受け入れること。それが幸せであるための秘訣であると言えるでしょう。

 

 

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