現代のマジョリティを占める価値観は「唯物論」であると思います。

 

唯物論とは、神やあの世と言ったものは存在せず、人間は死ねば全て無くなるという価値観です。霊的な現象を否定する立場であると言ってよいでしょう。

 

これは、近代科学の発展によって、科学的に実証可能な範囲が広がったこと、それによって、1900年代以降、分析哲学や自然主義などの影響で、実証主義が強まったこと、などが原因でしょう。

 

要は、現代は証拠を欲する時代であり、証拠なき現象は否定される、そのように言っても良いかもしれません。

 

さて、私はここで問題提起をしたいのですが、証明、証明と言うのですが、実際には、この世界に証明可能なものなど一つも無いというです。多くの人は証明、証明、と言いますが、実際には完全に証明されたことなど一つもありません。

 

まず、科学の前提は、自然界に関する帰納法の成立でしょう。自然界には帰納法が成立しているという仮説を「自然科学の斉一性原理」と言いますが、これは、あくまで仮説であって、実際には、明日太陽が西から昇ること可能性はゼロではないのです。また、我々が飛んでも無い勘違いを起こしているかもしれません。そして、それを事前に知ることが我々にはできません。

 

実際に中世の時代に、コペルニクスが天動説から地動説を唱えましたが、それまで人々は天動説を信じていたのです。実に2000年以上、間違ったことを信じていたのです。そういうことです。

 

人間の認識など、その程度の物なのです。

 

科学の中で最も信頼性ある学問は何かと言うと数学です。かのアインシュタインすらも、科学はある程度議論の余地はあるが、数学は完璧な体系を示す、と言っています。

 

では、数学は完璧なのか?

 

実際に1920年代にダフィットヒルベルトが数学の完全性を示そうとヒルベルトプログラムを考案します。数学は完璧な体系であり、数学を使うことで完全な証明ができることを証明しようとしたわけです。

 

しかし、そのヒルベルトの野望は、若き数学者に打ち砕かれます。クルト・ゲーデルです。

 

 

ゲーデルは不完全性定理によって、数学には、証明できない問題が存在し(不完全性第一定理)、また、数学は自身の無矛盾性を証明できない(不完全性第二定理)、ことを証明しました。

 

要は、数学はある枠内では機能するのですが、その枠を取り払った段階ですらも機能するかどうかは分からないのです。例えば、平行線の公準はユークリッド幾何学においては成り立ちますが、リーマン幾何学においては成り立ちません。

 

ですから、数学において証明しているあらゆる問題は、本当にそれが証明されたかどうかは分からないわけです。

 

数学の認識している範囲内では証明されたと言えるでしょう。しかし、その外において、つまり、数学の認識している範囲内という条件を取り払った状態においては、証明できているかどうか分からないのです。既に言ったように、簡単な例を挙げれば、平行線の公準が代表例でしょう。つまり、ユークリッド幾何学上は平行線の公準は正しいですが、それよりも範囲の広いリーマン幾何学においては正しくありません。

 

そして、数学は科学において最も信頼される学問でありますから、つまり、科学上、証明された、これはノーベル賞も含みますが、とされる問題は本当に証明されたかは分かりません。

 

つまり、科学を前提とする実証主義は根拠がありません。すなわち、唯物論も根拠がありません。

 

今後、唯物論は間違いであると分かり、霊的価値観へと人類は進んでいくでしょう。今の人類は天動説を信じているようなものです。そして、今後、人類は、天動説から地動説へと、つまり、唯物的価値観から霊的価値観へと進んでいくことでしょう。

 

そして、実際には、証明を超えて、つまり、知を超えて、真実のものを認識する方法、というものが実は存在しているのです。そして、そのことによって、霊的価値観も徐々に浸透していくことでしょう。それは、また、別の機会にお話ししましょう。

 

 

 

 

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