幸せのために大切なたった一つの事、それは、条件をつけないことです。

 

私たちはよく条件を付けるのです。

 

「もう少し年収があったら幸せになれるのに・・」

「理想の人に出会えれば幸せになれるのに・・」

「成功すれば人生はバラ色になる!」

「毎日がもっと楽しくなればいいのに・・」

「病気さえなければもっと幸せなのに・・」

「大好きなことを仕事にできたらどんなに幸せだろう!」

・・・

・・・

 

いくらでも挙げられると思いますが、私たちは上記のようによく、条件を付けるのです。これを私は「悪魔のIf」と言っています。条件が整えば幸せであるということは、裏返せば、条件が整わなければその人は不幸であるということです。そして、多くの場合には、そのような条件が整うことは稀であり、そして、そのような条件がもし整ったとしても、上記のように思う人は、また、「こうなれれば幸せなのに・・」と言い始めるのです。切りがありません。

 

 

例えば、相手に対して、「年収が高いこと」、「容姿が整っていること」、「面白い冗談を言って笑わせてくれる人」・・・なとと条件を付ける人がいますが、一度、このような条件を自分は何個持っているか数えてみると良いかもしれません。数が多いほど、結婚しても離婚する可能性は高いと言えるかもしれません。

 

要は、それだけ条件を付けると言うことは、それだけわがままだということです。そういう人は、常に相手のネガティブな側面ばかりを見て、気に入らないとストレスを溜めて、関係は険悪なものとなるでしょう。

 

しかし、一方で、相手をあるがまま受け入れて、相手に感謝できるような人は、相手に条件をつけません。条件を付けないからこそ、相手も、その人と一緒にいて居心地がいいし、一緒にいたいと思うようになるのです。

 

これは一例ですが、結局のところ、相手や環境、状況に対して条件を付けて注文を付ける人は幸せになれないのです。そうではなく、あるがまま相手や環境や状況を受け入れる。そういう人は幸せになれます。

 

一度、対人関係、仕事関係、生活環境(貧困など含め)自分の置かれた状況、あらゆることに自分自身がどれだけ条件を付けているか、またはどれだけ無条件で受け入れているかを探ってみると良いでしょう。

 

条件を付ければつけるほど、苦しみが増し、無条件であればあるほど、じんわりとした幸福感が増すのが分かると思います。無条件であるほど、幸せになれるのです。

 

そして、条件を付けない態度、または、最低限で良しとする態度、これを「足るを知る」、と言うのです。日々生活できる家があれば良しとする、裕福で無くとも食べていけるのであれば良しとする。足るを知り、今の現状で満足する。それが大切です。

 

足るを知るというと、非常に高尚な感じがしますが、結局のところ、足るを知らないと幸福になれないのです。足るを知らず、もっと欲しいもっと欲しいと思うと、それを得られないときの状態に苦しむこととなるのです。そして、どんどん刺激を欲するようになり、際限がなくなるのです。麻薬がその最たるものでしょうが、このような状況は地獄です。

 

「悪魔のIf」に惑わされるのではなく、常に無条件の心を持てるように努力していくこと。それが大切であると言えるでしょう。

 

 

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