現代は競争や比較の価値観であると思います。いつも追い立てられていて、他人と競争し、他人と比較し、非常に疲弊する日々であると思います。

 

このような競争や比較の価値観がどこから来たのかと言うと、資本主義経済というのが大きいのだろうなと思います。資本主義は競争経済であり、常に競争にさらされます。それは企業単位だけでなく、個人単位でも出世競争といったものにさらされます。

 

出世競争は、これは経験すれば分かるのですが、この競争に勝利すればよいですが、例えば、同期に負けたとか、後輩に追い抜かれたとかとなると、大変なショックを受けます。自分自身が人間としてダメであると烙印を押されたような気分になり、劣等感にさらされるでしょう。

 

そして、いい会社に入るために、大学受験といった受験競争もあると思います。最近は、少し薄れてきたようにも思いますが、いい会社に入るには一流大学に入らないといけない。そこで、受験競争が激化するわけです。

 

学生の頃から競争にさらされて、そして、社会に出てからはもっと激しい競争にさらされる。これは、大変厳しいことでしょう。

 

 

さて、では、本来、競争や比較の価値観というものは正しいのでしょうか?

 

もし、競争や比較の価値観が正しいのであれば、人間は競争するために、比較するために生まれてきたと言えるでしょう。しかし、どうでしょうか?

 

競争や比較は、苦しくありませんか?

 

つまり、今日相手に勝利していたとしても、明日敗北する可能性があるわけです。常に心は休まらず、そして、浮き沈みの中苦しまなければなりません。

 

人間は苦しむために生まれてきたのでしょうか?

 

私はそうは思いません。やはり人間は幸せになるために生まれたと思います。

 

私は、苦しみの根源は何かというと、それは、自らの幸せの原因を外部に見つけようと言う弱い心にあると思います。つまり、自分自身の幸せの原因を相手に見出している。相手に勝利するのであれば、幸せであり、相手に負けるのであれば、苦しい。そのように外部に自らの幸せの原因を見つけるから、毀誉褒貶の中で苦しむこととなるのです。

 

そうではなく、外部に自分自身の幸せの原因を見つけようとして、相手と競争し、相手と比較するのではなく、自分自身に集中することです。自分自身に集中し、そして、自分が本当は何をやりたいのか?そのことに目を向ける。静かに自分自身の心に耳を傾ける。そして、それを表現する。

 

そうして、この自分自身の内側を外に向かって表現したところのものを、これを個性と言います。そして、このように個性を表現し、相手と分かち合うことで、きっと、あなたはすごく幸せな自分を見つけることでしょう。

 

この事実自体が教えてくれるのです。競争や比較ではなく、個性が大切であると。つまり、競争や比較は、勝てば一時の幸せを得ることはできるでしょうが、多くの場合は苦しいでしょう。しかし、個性を表現した結果としての幸せは永続します。一時の幸せを追い求めて苦しむのではなく、常に幸せであるほうが良いでしょう。

 

ですから、競争や比較ではありません。自分自身の外部に自らの幸せの原因を見つけようとするのではなく、自らの内側に見つけようとすること。相手と競うのではなく、自分自身の個性を表現すること。そうすることで本当の意味で幸せになれるのです。

 

それを忘れないことです。

 

私の著書、『出世競争から外れたときの心構え』、『この世とあの世を貫く幸せ』、『新しい教育のすすめ』にも、関連する内容が記載されています。こちらもご参照ください。

 

 

また、より深い内容については、以下のwebサイトご参照ください。

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