幸せになりたいと思うほど幸せになれない。もちろん、幸せになろうと思って努力をして幸せになれる人もいます。そういう人もいるでしょう。しかし、多くの人は、幸せになりたいと思うがゆえに、その思いが強いがゆえに、幸せになれないのです。

 

要は、幸せに対する期待値が高すぎるのです。つまり、いい人が現れるまで絶対に付き合わない、とか、絶対に成功してやる、とか、お金持ちになりたい、とか、絶対に優秀な人間になってやる、とか、そういうのが幸せの定義なのでしょうが、それらの幸せの期待値が高く、一方で、それに届かない現状とのギャップに苦しむということです。苦しむと言うことで、つまり、幸せになれないということです。

 

冒頭お話ししましたように、もちろんそういった目標を持ってうまく行く人もいるでしょう。そして、幸せになれる人もいるかもしれません。しかし、多くの場合には、そのようにうまく行くわけでもないでしょう。

 

そもそも人生と言うものは、お釈迦様のおっしゃる通り諸行無常であり、常に変転し、自分にとって都合の良いことばかりが起こるわけではありません。むしろ自分にとって不本意な、自分にとって不都合なことのほうが多いのではなうでしょうか?そして、自分が思う通りになれない現状に苦しむのです。つまり、幸せになれないのです。

 

幸せになりたいと思えば思うほど、その思いが強いほど、現状とのギャップに苦しみ、幸せになれないということです。

 

 

では、どうすればよいかと言えば、つまり、自分自身の期待値を下げる必要があります。自分自身が「そうしたい!」と望む、その執着から離れる必要があります。いい人が現れるまで結婚しないと言うのではなく、たまたま出会った人とお付き合いし結婚する。絶対成功すると思うのではなく、今やっている仕事に集中して一生懸命頑張る。お金持ちになろうと思うのではなく、衣食住が足りることに満足する。

 

そして、実は、そのように自分自身の期待値を下げて、現実に起こる毀誉褒貶(きよほうへん)を受け入れることができるようになると、自分自身が思ったものを手に入れることができるようになるのです。肩の力が受けることによって、思う現実を実現させることができるようになるということです。

 

ですから、私から言えることは、相手に期待するのは止めて、また、状況に期待するのは止めて、絶対にそうしたいと思うことを止めて、それよりも今やっていることに集中し、どのようなことが起こってもサラサラっと受け入れていくことです。このような人生に対する態度は、老子の言う無為自然ということになりますが、実は、そのように「絶対にそうしたい!」という我を取り払って、あるがままに受け入れていく中に、人生の成功というものが隠されているのです。

 

そういった態度で生きていくことが大切であると言えるでしょう。

 

一点注意が必要なのは、全く「そうしたい!」と思う気持ちが無いと、無気力となり、成長や発展も無いでしょう。そうではなく、バランスが重要であるということです。私は成功を欲してはいけないとは言っていません。そうではなく、もちろん方向性としては、よりよい人生にしたいと思って努力することが大切です。しかし、さらに重要なのは、成功したいと思う執着を捨てることです。成功を目指しながら、それに執着しない、という難しいバランスが必要となるのです。

 

老子の話をしましたが、現状を愛する思想は老荘思想であり、現状を打破し発展を目指すのが孔孟思想です。ですから、孔孟思想と老荘思想のバランスを図ることが重要ですよ、ということです。

 

そして、現代社会は、より孔孟思想に傾きがちであるため、それを中和するために、老荘思想をクローズアップして、今回のブログは書いているということです。

 

私の著書、『宗教統合』、『この世とあの世を貫く幸せ』にも、関連する内容が記載されています。こちらもご参照ください。

 

 

また、より深い内容については、以下のwebサイトご参照ください。

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Taigen Ogura Philosophy Labo