哲学においては主観と客観の一致という問題ががあります。
主観と客観の一致とは、自分自身が認識している主観と、対象である客観の姿が本当に一致しているのか?という問題です。
例えば、自分自身はコップを見ていて、コップがこのような姿であると認識しているが、その認識はコップの本当の姿と一致しているかどうか?自分自身はカントの哲学をこのように解釈しているが、この解釈はカントが意図した内容と一致しているかどうか。こういったことです。
そして、これは、近世以来議論されてきたことですが、現在のところ、主観と客観の一致は不可能であるという認識が支配的ではないでしょうか?デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールといった歴史の中で主観と客観の一致は原理的に不可能である。それが一般的な解釈であろうと思います。
これに対して、私自身の結論を言うと、主観と客観の一致は可能である。そのように断言したいと思います。
結局は、主観と客観の一致というと、自分自身の主観と、外部の客観が一致しているのか?という対立関係として捕らえられるでしょうが、実際には、そうではないと私は認識しています。
カントのコペルニクス的転回と同様、全て自分自身の内部にある。特に真理に関する主観と客観の一致は次のようになるでしょう。
真理に関する主観と客観の一致とは、自分自身の主観と、自分自身の内側にあるところのアプリオリな客観認識、この2つを自分自身で確認するということです。全て自分の内側にあり、自分でわかるということです。
以下にその概要を記載してみました。
また、より深い内容については、以下のwebサイトご参照ください。