今日は日本人にとって悲しい出来事がありました。
一人のジャーナリストが死を賭してまで行動したことに対して、多少なりともメディアや発信に関わる立場から、とやかく述べる気は無い。真実を伝える勇気ある方が殺められたコトに、ただただ哀悼の意を表します...
今日は、敢えて私見を述べます。
政府対応や交渉経緯等について、激しい論調や対立、NET上では憶測や批判炎上が起こっています。恐ろしい発言や歪んだ世界観も多々。
無関心は除き、当事者でも無く体験や精通もしてない人たちが、是非を問い攻撃し合う自体に何の意味があるのか、、ここに現代社会やバーチャル文化の問題そのものがあると私は思います。
自己責任や憶測、是非はさておき、起こってからどうするでは無く議論すべきは、
何故殺されなければならないのか、
何故起こってしまったのか、
救う手立てについて、
今後どうしていくべきなのか、
そして日本だけは大丈夫、対岸の火事、起こりえない、はもはや通用しない。後藤さんの行動やメッセージには、そのコトが含まれていた気がしました。知るコトへの重要性も、、
世の中は、様々な思想や文化、環境や感情ある人々で成り立っている。それ自体共存社会では普遍的なコトで、貧困や格差を生む要因、利己的思考について根本があり、テロリストを育んでしまう環境は何処にでもあるのかと。日本でもカルト団体の事件や凶悪犯罪にも起因しているかと思います。
特にイジメ問題は、自分はやってないという人の大多数が、多勢に無勢で加担してしまっているコトに気付いていないはず。子どもたちだけや学校の問題と考える大人たちが、自分が子どもや職場、社会にどれだけ影響を与えているかも同様であろう。犯罪温床や司法の限界もここにある気がします。
因果応報と言いますが、良いコトも悪いコトも必ず原因と境遇共感する人がいるというコト。それが増幅されて影響を与えているのかと...
テロリストや残虐行為は決して許さない行為である。
そのコトは当然で感情論で言えば首相同様激しい怒りを覚え、根絶すべきだと思う。国といえど一組織でもあり、保全のための統率や意思表示は必要だと思う。
一方対テロ攻撃を実行し組織壊滅させられたとしても、意志の根絶や罪無い人々、今後日本人だけを守ることなど誰にも出来ない。ある意味歴史的に繰り返されてきたコトでもある。
ではどうしたらよいのか...
◆人との繋がりを見つめなおし、共存共栄や生かされている自分を考える
◆現代社会や起こっているコトを俯瞰で考え我がごとに置き換えてみる
◆少しでもいいから現在の自分に出来るコトを行動する
それが大事なコトだと私は思います。損得、お金の大小や他人の評価は関係無い。日本人の100円は貧困国では大金で、役に立つというコト。
ITやツール至上主義、成果や手段優先社会は、人々の感性までも破壊してしまった気がする。日本文化の良い面は、信念と労力惜しまず手間暇かけた行為やプロダクト、そして他人との信頼や譲り合い、そう、、共存共栄を育む気質にあったと思う。
善悪、白黒、批判、攻撃からは何も生まれない。逆に新たな憎悪や怨恨の火種を作るだけである。
最後に...
格差社会=無関心、無気力
これは非常に大事な公式だと個人的には考えています。まだ、批判し合う人たちは問題意識があるからだ。
政治無関心、選挙に行かない、興味が無い、、が半数以上を占めているという現実。是非風潮や期待過多から裏切られ、無関心に追い込まれた人々も沢山いるのだろう。それなのに正論を押し付けるのはそもそも見合っていない。
ISISも主導者達はさておき、構成員や志願者多数は流れ着いてそうなったのではなかろうか、、先に騒ぎになった学生同様、日本人がそうなっても何ら不思議は無い。
結局、自己実現や自己責任を全うしない限り生き残れないのであれば、格差社会は必然となってしまう。強者論は万人には通用しない。私も葛藤経験から未だに一弱者に過ぎない、なので日々必死に抗っている。
日本も新たな局面と在り方を問われる過渡期にさしかかった...その現実と向き合い、人生や守るべき家族や人との関係を考えたい。
PS:
乱筆乱文あくまで私見であり、正論主張や論ずるつもりは毛頭ありません、ご了承ください。
2015.2.1
