かれこれ10年ほど前のこと—
駒沢オリンピック公園陸上競技場で行われた
高校サッカー選手権東京都予選準決勝。

格下と思われた相手に1-2とリードを許したまま
試合終了のホイッスルが虚しく青空に響き渡ったー
その笛は、久我山サッカー部の選手としての終わりを告げるとともに
国立大を目指す受験生としての始まりを告げる笛でもあった。

季節は大学受験シーズンを目前に控えた冬の入り口。
大学入試センター試験まで残された時間はあとわずか。
かといって、大学受験に向けて特段ギアチェンジをするわけでもなく。
もともと正月の全国大会まで出場するスケジュールでいたから
その夢が儚くも散って、かえって時間的には余裕が生まれた感じだった。

案の定、センター試験は楽々90%の得点率を超えて
2日間ある一橋大の二次試験も、初日終了時点ですでに合格を確信していた。
塾や家庭教師には一度もお世話になったことはなく
それくらい久我山という高校の受験サポート体制は充実したものだった。

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そこからさらに遡ること2年半ー
高校サッカーで全国制覇をするために久我山でプレーをする
そんな想いを胸に、國學院久我山高校の門を叩く。
(※中高一貫組なので内部進学ではあるけれど)

高校1年の夏には、いきなりトップチームの合宿に招集され嬉々としていた。
目の前にはTVで憧れていたあの選手が、とかそういうレベル。
合宿中の紅白戦では、マークする相手が2歳年上の実兄だったり。笑
(※兄は右サイドバック、自分は左サイドの攻撃的なポジション)

そこからだった。
全国制覇を目指すチームでの熾烈なメンバー争いと
国公立大学の現役合格を目指す学業選抜クラスとの掛け持ちが始まったのは。

当時の久我山は「文武両道」をモットーに掲げてこそはいたが
その実態としては
全国レベルの各種スポーツはスポーツ推薦で入ったクラスの生徒たちが担い
大学受験の実績作りは学業選抜クラスの生徒たちが担うといった分担作業で
個人レベルではなく、学校トータルとしての「文武両道」であった。

当時から、久我山の試合がTVで全国中継されるたびに
「スポーツの実績も大学進学実績も全国クラスの高校」なんて表現をされ
それを見て、夢や希望を抱いて入学してきた生徒たちが
校内での分業の実態を知って愕然とするのではないか
誰かがそれをロールモデルとして体現して見せないと
「文武両道」という言葉だけが一人歩きをしてしまう
後輩たちのためにも、パイオニアとして実態を変えていかないと—

そんな使命感が自分にあったかどうかは別にして
幾多の衝突を繰り返す高校生活が本格的にスタートした。

この國學院久我山という「文武両道」を大々的に掲げる高校
実際にそれを実現させようとすると、驚くほどの障壁が存在している。

まずは、サッカー部におけるメンバー争い。
各学年にいるサッカー推薦9名×3学年=27名。
メンバー入りのほとんどが彼らによって占められ
それ以外の選手にとってのメンバー入りは相当な狭き門。

兄からそれとなくその壁の存在を聞かされていた自分は
高校入学時にスポーツ推薦クラスへの編入を当時のサッカー部顧問に直訴。
…も「平等に実力評価を行う」ことを約束に、敢えなく却下。

一方で、気が付けばクラスは学業選抜クラスに在籍をしていて
日によっては7:30からの朝講習に加え、授業が8限目まであったり。
8限が終わる頃には、部活の方はもう半分くらい終わっていたりとか。

部活をやめて大学受験に専念するように
当時の担任に何度も面談で説得させられたことは
以前のエントリーでも言及したことだけど
こんなんでどうやって受験とサッカーを両立させるんだよ、って
親への反抗期がなかった代わりに、学校への反抗心は心に隅に抱いていた。

実際に、高校3年の夏になると
それまで一緒にメンバー入りを目指していた同志たちも
次々と大学受験を理由にサッカー部をやめていき
大学受験を目指しながらメンバー争いをする仲間は
片手で数えられる人数にまで減っていた。

特に、高1でトップチームの夏合宿に一緒に招集され
東大受験を目指すと言っていた彼が夏前にやめてしまったことに
当時大きなショックを受けたことを覚えている。

また、大会期間中に8限を終えて部活に参加するときなんかは
アップもなしにいきなりメンバー候補向けの紅白戦にカットイン。
外から試合を見ていた部員からは
「ノコノコ遅刻してやってきて、なんだよあの待遇は」
なんてことを冗談混じりに言われることもよくあった。

でも少なからず、味方になって支えてくれる人たちが周りにはいた。
学業選抜クラスの仲間も、サッカー部の仲間も
基本的には両立させていくことに理解を示してくれて
近くて遠い存在、メールで励まし続けてくれた友人がいて
自分の決断に全幅の信頼をおいて、黙って見守ってくれる母親がいた。

今でも久我山で監督を続ける李さんには、すごく目をかけてもらっていた。
中学時代からクラブチームでのプレーをスカウティングしに来てくれて
まだ入学をする前なのに、試合後にいろいろアドバイスをしてくれたりと。

入学後も
「これまで指導してきた選手の中で、最も東大Jリーガーに近い位置にいる」
って持ち上げて、受験とサッカーの両方を追いかけることに
全面的な賛意を示してくれていた。

そうした多くの人たちの支えや励ましがあって
「受験かサッカーか」の選択に迫られることなく
最後までどちらもやり抜くことができた。

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前置きが長くなったけど、ここからが本題。

中には、サッカーだけに専念してればスタメンでバリバリやれたのに、とか
受験だけに専念してれば楽々東大にだって行けたのに、って言う人もいる。

でも自分ではそういう風に思うことは全然なくて
受験を目指していたからこそ、メンバーにも入れてインハイにも出れた
サッカーをやっていたからこそ、現役で国立大にも入学することが出来た
くらいにむしろ思っている。

「受験かサッカーか」の二者択一ではなく
「受験もサッカーも」両方大切という気概でいると
どちらかを優先させる、犠牲にするという発想ではなく
どうすれば両立させていくことが出来るかという
問題解決の発想に切り替えることが出来る。

限られた時間配分、限られた肉体的な資源の中で
いかに効率的に物事を進めていくことが出来るか。
やらなくていいことを徹底的にやらないようにし
本質的に必要となることだけに専念して取り組むようにする。

受動的に言われたことをただ淡々とこなすのではなく
主体的に取捨選択の判断をして選び取っていく姿勢。

「仕事と家庭どっちが大切なの?」なんていう
言い古された脅し文句があるけれど
そんなのどっちも大切に決まっていて
どうすれば両方大切に出来るかを話し合った方がよっぽど建設的である。

加えて、受験とサッカーの両方に取り組むことの
相乗効果、シナジー効果というものが、たしかに存在すると信じている。

交感神経と副交感神経がどうだとか
身体を動かすことで◯◯成分が分泌されるだとか
そうした科学的な根拠はさておき
サッカーをすることによる精神的なリフレッシュであったり
怪我しているときのモチベーションの維持(受験勉強での気分の紛らわし)であったり
両立させることの心理的効果には絶大なものがある。

そして何より、真摯に物事に取り組んでいれば
それを応援してくれる人が自然と周りには集まってくれる。
そうした周囲の人間の支えが、何よりのパワーの源になる。

今から5年前ー
全国ベスト8まで進出した久我山のとある選手が
試合後のインタビューで東大受験することをメディアに公言していた。
(※結局、彼は慶應大学に進学し、今では同じ金融グループに)

そして今年—
久我山vs.駒場の試合で2ゴールをあげた選手は
小澤さんの記事にもある通り、現役で国立大学を目指しているという。

「受験かサッカーか」の二者択一時代が終焉し
今じゃそうした生徒は珍しいものじゃなくなってきて
少しは久我山でのそうした流れに先鞭をつけられたかな、と
10年前の高校生活をちょっぴり懐古している自分がいる。

高校サッカーのテーマソング
ナオト•インティライミ「Message」の歌詞が
じんわりと心に染みわたる年齢になってきました。

"久々に見た画面に映る
10年前の僕に伝えたい
「今を抱きしめていて」"