今から41年前、私は大学2回生、実家から学校へ通うのやめて大学近くに下宿を始めました😅
授業が終わると原付バイクで北新地へ、
バイト先は今でも覚えている北新地の上通り(カミドオリ)に面した一階に花屋さんがあったビルの地下一階のクラブラウンジ
「チロル」。
ボックス席が6席と小さなカウンター、それとグランドピアノ、玄関にはクローク、ちょっと小ぢんまりしたお店でしたが絨毯もフカフカで高級感はかなりありました😅
女の子は、レギュラーの方が3人位と女子大生のアルバイトが3〜4人で、男は、カウンターの中にいるチーフとお店の始まる前と終わりにやって来るマネージャー、それと大学生のバイトが私ともう一人の合計4人、
それとママとチーママ、
ちなみにチーフとチーママは、夫婦でした。
お店のお客さんは、どこどこの社長さんとか、誰でも知っているような会社の重役さん、それと議員さんなど客筋は、かなり良かったと記憶してます😅
30分おきにピアノの先生が入れ替わって生演奏したり、カラオケの伴奏したりと、何せ座るだけで一人4万円が基本料金で、店内での支払いもカードか、サイン(つけ)しか見た事がなかったなあ😅
ママは、北新地で有名なお店から独立した叩き上げみたいな方でかなりキツイ方でした。
たまに女の子が泣かされているのを見ました😂
なので女の子の出入りは、かなりありました😅
でも、女の子も強くて、辞めてもすぐに新地ですれ違って
「今、どこそこの店に行ってるねん」とあっけらかんでした😅
当時の時給は、私で1000円、女子大生の子で3500円、かなり良かったです😅
まだバブル直前で景気も良かったんですよね😂
私の仕事は、玄関でお客さんのお迎え、店内での給仕、お客さんが食べたい物を買いに行ったり、また、タクシー乗り場までお客さんを送って行ったりと何でもしてました😂
週末ともなると北新地は、お金持ちの方や芸能人、お相撲さんでごった返してましたね😅
お店が始まる前、通っていた喫茶店があって、たまにレギュラーの愛子さんと一緒になるのですが、愛子さん(比嘉愛未さん似)は、凄く綺麗で優しかったのを覚えています。
そんな愛子さんがある時、私に悩みを話したことがありました。
それは、お客さんのある社長さんから
「この先、ずっと面倒をみるから、どうや」
という内容、当然、ママもかなりプッシュしてくるみたいでかなり迷っていたのを覚えています😐
まあ、ママとしては、太客なんで当たり前かなと😐
結局、愛子さんは、断ったみたいです😐
愛子さんには、プライベートでもご飯をご馳走になったりと良くしてもらえました😂
また、チーフやマネージャーにもお店終わりに東通りの裏手にあるオカマバーに頻繁に連れて行ってもらえました😆
当時、私みたいな若い男の子を連れて行くとお店のオカマさんは、大喜び😆
いつも体中を触られたり、一緒に踊らされたりとほとんどオモチャにされてました😂
まあ、いつも飲んで酔っ払っていたので楽しかったです😆
あの頃ぐらいからオカマさんのショーパブが北や南に出店してちょっとブームになってましたね😅
そんな浮世離れしたラウンジでのバイト生活も8ヶ月くらいで終了して夜の水商売は、卒業😅
それからは、ポーカー喫茶店のウェーター、駐車場、コンビニ、そして新聞社の夜間勤務などいろんなバイトをしました😂
とにかく、当時どこへ面接に行っても大学生は、ひっぱりダコで断られた事は、一度も無かったと記憶しています😄
今のように老後の心配してる人はあまり居なかったよなあ😂
みんなお気楽に浮かれて過ごしてましたね😄
その頃は、こんな日本になると誰も思ってなかったよなあ😒
また、田中角栄さんみたいな強烈な政治家が現れへんかなあ😅
ひでさんのプロフィールページ
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