ボケたばあちゃんの面倒 続 | 一人一人が素晴らしい存在

一人一人が素晴らしい存在

ものの捉え方が変わると自分が変わる。

ある日、自営業である寿司屋がお休みの日にお父さんにおばあちゃんの面倒をみててもらい母とお昼を食べに行きました。


久しぶりに外でご飯を食べるのでゆっくりしていました。


ふと外を見ていたら父が歩いていました。
大好きな囲碁を打ちに行くんでしょうね。
おばあちゃんの面倒をお願いしたのにたった3時間ぐらいもみてくれないのか❗


悲しいのと、自分の母親だろ❗もっとみてよ❗チーンムキーと言う気持ちで頭に血が昇る思いでした。


その後もあまり協力的でない父に「お父さんもおばあちゃんの面倒みてよ」と言ったら「嫌な家庭になってきたな」と一言。


まるで溺れてあっぷあっぷしてる私に手を差し伸べるどころか無視されたような、見放されたような気持ちになりものすごく悲しかったえーんえーんえーんえーんえーん



だから私は父とは壁を作った。この人には頼れない。助けてもらえない。とにかくもう無理。


母には「ばあちゃんと一緒に死にたい」と言った事がある。それは本当に死にたいではなく助けて❗のメッセージでした。
母は動いてくれて、後々ばあちゃんは特別養護の病院に入る事になりました。



父との間に壁をつくったまま私は嫁いで行きました。