アントワネット様が最期に見た同じ道を歩く
【アントワネット様を偲ぶロード】

6/9(日)pm 2:03 スタートです

この日のコンシェルジュリにはこの看板が

私が持っているこの紙と同じ絵ですね。

まさに今から、
首をはねられるために2ヵ月半ぶりに外に出る。


1段1段、階段を上っている絵です。

 

 

この階段は?
どこでしょうか?

 

ヴィック・ダジル氏のレポートを編集し、印刷した紙にも載っているこの絵と同じ、この階段を探すことから始めましょう。


上の紙の左、これは

 

ここですね。そして階段は?階段もここなのかも?

 

門の隙間から写真を撮っていますが、実は鉄の門で閉じられており、あの場所へ行くことは出来ません。

門の向こうにスタッフがいましたので、この紙を見せながら
「ムッシュ、ムッシュ、この場所を探しているので、ここから中へ、あの場所まで行かせてください。私はマリー・アントワネットが好き。日本から来ました」とお願いしましたが「申し訳ないがこの中には入れない」と断られてしまいました。
「この場所は?どこでしょうか?あそこですか?」と訊ねると、2人がかりで紙を見てくれて、
「うーーーん、そうだね、あそこだね」と教えてくれました。

 

この階段を上ってみることは出来ませんでしたが、この階段と思われる場所を見ることが出来ました。
おそらく、あの場所の向こうに下へ降りる階段があって、こちら側へ上って出たと思われます。

そして、私が立っているこの鉄の門から出た?
門を出て左へ、時計の下を通って、

 

時計の角を左折し、

セーヌ川沿いを進んだ?

スタートが、私が今立っている鉄の門かどうかは私の推測ですが、その後セーヌ川沿いを行ったことは分かっています。

 

荷車は、囚人を乗せてこの道を行きました。右がセーヌ川。

沿道には大勢の見物人が囚人に罵声を浴びせたでしょうね。

常にエレガンスさを大切している囚人は、言い返すことなく静かに座っていたことでしょう。

そしてここを右へ、セーヌ川を渡って右岸へ

そして、ついさっきまで、自分がいたコンシェルジュリを見つめたでしょうか?

 

 

 

セーヌ川を渡り、モネ通りを通ります。

人気デパート【サマリテーヌ】の右を通ります

 

通りは2本ありますが、こっちですね

この道をサントノーレ方向へ進みます。

 


ルール通りと

 

サントノーレ通りが

 

交差したここを、この方向へ進みます。

 

サントノーレはパリの高級ブティックストリートです。
シャネル、グッチ等の高級ブランドショップがずっと向こうまで続く、パリのメインストリートのひとつです。



このバルコニーからは、

 

 

有名なこの横顔がスケッチされた

 

下を向くでなく、前を向いている。

いえ、正確には前(進行方向)ではなく、後ろを向いている。
アントワネット様は、前向きでなく、後ろ向きで座ることを指示され、それに従っていたから。


サントノーレ通りを、ギロチン広場(現コンコルド広場)へ向かうサン・フロランタン通りまでの約2kmを、このまま真っ直ぐに進みます。


パリの重要な文化遺産の一つであるオラトワール・デュ・ルーヴル教会が見えてきました。


この階段にも、きっと大勢の見物人が
少しでも囚人がよく見えるように階段の上に立って、

 

「私の子どもが飢え死にしていた時に、お前は贅沢はものを食っていたのだろう」
などと罵声を浴びせていたでしょうね。


遠くにオペラ座が見えます。

 

ズームしました

 

若い頃、夜な夜なパリで遊び、オペラ座の仮面舞踏会を楽しみ、スウェーデン人の恋人フェルゼン伯爵と出会った場所、華やかな頃を、囚人は思い出したでしょうか?


そして、ロベスピエールの家の前を通過します。

 

 

果たしてロベスピエールは自分が王座から引きずりおろした囚人を見るために、この扉から外へ出たでしょうか?

それとも、群衆の叫びを聞きながら、いままさに自分の家の前を通過する気配を、悠然と部屋でお茶でも飲みながら確認していたのでしょうか?

ロベスピエールの家の前を通過し、サン・フロランタン通りをギロチン広場へ向かって左折します。

 

 

あとはもう、ギロチン広場まで、まっすぐです

 

そしてこの場所をこの角度から

 

この場所をこの角度から見ようと思いましたが、残念ながら現在パリオリンピックの工事中でコンコルド広場(旧ギロチン広場)は封鎖されており、入ることは出来ませんでした。

 

【アントワネット様を偲ぶロード】はこの地をもって終了と致します。

6/9(日)pm 3:33


アントワネット様が最期の日に辿った道を、同じように歩いてみたかった。
やりたかったことが出来て、私はとても満足しています。
このレポートを作り、公開してくださったVicq d Azir ヴィック・ダジル氏にとても感謝しています。
このレポートの存在を私に教えてくれたNamiさんに、心から感謝します。


革命という正義を掲げてフランスは国王ルイ16世を処刑し

 

10月14日午前8時から午後11時まで、そして翌日15日午前8時から16日午前4時に渡り革命裁判所で裁判が行われ、
ついに1793年10月16日午前4時頃、アントワネット様は死刑判決を受けました。

自分に残された時間を知ったアントワネット様は義妹エリザベートに宛てて最期の手紙を書きました。

しかし義妹エリザベートに宛てて書いた手紙はエリザベートに届かぬまま、エリザベートも翌1794年5月に処刑されます。


唯一革命を生き延びた長女マリー・テレーズは1816年に、この手紙を手にすることが出来ました。良かったですよね。

ところどころのシミは涙で滲んだ跡でしょうね。

 

1793年10月16日 12時30分
フランスは王妃アントワネット様の首をはね、

 

さらにロベスピエール、サン・ジュストら革命のスターらの首を次々とはねながら、

ナポレオンの登場を待ちます。

 


そして時は流れて現在のパリは
花の都パリ

 

オリンピックの前の6月30日(日)~7月7日(日)には総選挙があり、結果によってはフランス大混乱の可能性があるそうです。

そして7月26日から8月11日は
平和の祭典オリンピック

果たして、美しいパリで開催されるオリンピックがテロに狙われることなく無事に終了し、私はまたこの美しいパリへ、愛するベルサイユへ、安心して楽しく旅をする日が来るでしょうか?



私はまたここに戻って来たいな



アントワネット様が愛し、眠ったパリに