9月18日、母が亡くなった。あまりに突然のことだったので、「とるものもとりあえず」という感じで実家のある神奈川にすっ飛び、その後は葬儀の手配やら介護施設の契約解除の手続きに追われ、先週半ばにようやく仙台に戻ってきたところである。


 22年前から幾多の病を患い、入退院を繰り返し、特に父が亡くなった4年前からは衰弱激しく、食も細るいっぽうだった。ここ1年ほどはコミュニケーションも殆どとれない状態で、主治医からも今後大きな病気を発症しても手術に耐えられる体力がないなどの指摘も受けていたので、「突然」とは言っても、「いつあってもおかしくない」死ではあった。


 だが、父の時と同じく、心の準備もないまま、看取ることが出来なかったという思いは残る。この4年間は喜怒哀楽も示さない母に向き合い、どう接すればいいのかわからず戸惑うばかりだった「心はオジサン」を襲っているこの喪失感は、間違いなく母への愛情でもある。


 いつも優しく、オシャレで笑顔のたえない、そして料理の上手な母だった。死の間際には「生きる」ことの意味を母なりの形で教えてくれたと思う。「心はオジサン」なりの弔いはただただ感謝の気持。