20代、30代の頃、たまに他人からこんなことを言われたことがあった。「その態度は相手から『自分のことを好きなんだ』って誤解されるよ」とか、「そんな嬉しそうな顔しているところを見ると、○○君の事が好きなんだ」とか。

 言われて驚いたのは「心はオジサン」である。当時の流行り言葉でいえば、「びっくりしたな、もう」(--;)・・・誤解されまくりの青春時代だったね。中には「その気」にさせられて、頭にきた、という人もいたらしいので、ごめんなさい。


 こういう事に気が付き始めたのは実はつい最近のことで、本人まったく無自覚のまま、半世紀近くを過ごしてきたことになる。

 原因はティーンエージャーの頃、両親から「女の子なのに無愛想」とトラウマになるくらい言いまくられ、20代に入ってから無理してでも「笑顔」を作る努力を重ねたせいと、なぜか、「心はオジサン」は自分のように「あまり笑わない人」を見ると、何とかして「笑わせたい」と思うDNAがあって(どうやら「クソ父」譲りのようだ)、その人が「笑ってくれる」まであの手この手で「えんたーていめんと」しまくるので、そりゃ誤解されても仕方ないかもしれないしれない。(///∇//)


 勿論、鼻から「相手にされない」相手にそんな事しないだろうから、全くその人に興味がなかったとは言わないが、「笑ってくれれば」目的は達成できたので、その後は「赤の他人」という事も多かったろう。罪な人。m(_ _ )m


 コメディアンに悲劇の主人公や犯罪者の役を演じさせるとアカデミー賞級の演技をする人が多い。「人を泣かせるのは簡単だが、笑わせるのは難しい」とよく言われるように、実際、他人を笑わせるというのは、知的でデリケートな技術であって、これをモノにする喜びは、ちょいと「計り知れない深さ」があるんである。「心はオジサン」ももの心ついた頃から、このお遊戯に憑りつかれてしまったのかもしれん。


 そういうワケで、「心はオジサン」の笑顔やジョーク、立居振舞にあなた本人に対する好意はほとんどありません。良く知る知り合いは、「心はオジサン」が大の「人間嫌い」だということをよく知っている、これが真実です。