前回のブログネタを受けて、同年代のオバサンたちと「ダイエット論争」が続いている。この年代で(って幾つなんだよ!って聞くなよって!)(;^ω^A、16kgの体重減に成功し、かつてはウエストのわからないダブダブの服しか来ていなかった知り合いが今やミニスカートはいて、ハイヒールで街中を闊歩しているとか、「やせないのは努力が足りないからだ」とか、この話が始まると正直、止まらない。


 前のブログでも書いたが「心はオジサン」は基本的にダイエットには興味がない。「心はオジサン」よりも若くてよく知る人で極端にやせているひとがいるが、これは間違いなく「病気」で(ホルモン分泌系の病気)、観ていて痛々しいのみならず、一緒に食事をしても「美味しくない」。やれ「あれが食べられない」「これは医者にとめられている」という愚痴を聞きながらの会食が楽しいはずがなかろうが?こんなことになるくらいなら、たとえ太ろうが、美味しく食べられることに感謝して過ごしたいと思うのが「ふつう」じゃないかな?


 それに日本人の大半は「ダイエット=痩せる」ことと認識しているようだが、過去、米国に長期滞在していた際に、米国民からダイエットの本当の定義は「その人にあった健康管理の在り方を追求すること」と聞かされ、なるほどなと頷いたことを思い出す。太っていても健康な人はいるもので、運動神経もいいし、病気知らずという人もいるから、「太る=悪」と解釈するのは、これまた納得がいかない。逆に極端なアスリート志向の人で長生きしている人をあまり知らない。


 中高年にもなると、その人の全体的な印象というのが出来上がってくるから、元々ふっくらしていた人が激やせしたりすると、それだけで「病気か?」と気を使ってしまうし、もし本気で「ダイエットの成功」した結果だとしたら、中高年にもなって「ダイエットに真剣に時間とお金を費やす」こと事態を「痛い」と感じてしまうが、どうだろう?(他にもっとするべき事があるのでは?ないの?)第一、ダイエットの目的は何よ?医者から勧められたというならいざ知らず、「自己満足」以外の何物でもないんじゃねーの?


 TVのコマーシャルで太ももだして「リンダ、困っちゃう!」なんて還暦すぎた山本リンダが下剤の宣伝にでているが、タレントだから仕方ないかと思うにしても、巷では「誰か、あいつに長ズボンをはかせろ」という声もあるそうで(´_`。)

どうやっても何か言われるんだよ?


「痩せているかどうか」で人格判断するようなムーブメントとそれに踊らされいる日本国民を振り返ると、「平和ボケ」とか「危機意識ゼロ」といった言葉がどうしても思い浮かんでくるな。日本の未来のために汗をかくような何かをみつけようぜ!