ある人に事業の提案を行い、その為に他者を複数巻き込み、少なからぬ労をとった。しかしながら、いつまでたっても、その提案に対する是非の回答がない。もちろん、こちらから連絡をとり、どうなったか問いただしたいのだが、メールへの返信はないし携帯電話にも出ない。留守番電話に「電話してほしい」と吹き込んでもなしのつぶてである。ひどい場合には従業員に「居留守」をコメントさせる経営者もいた・・・


 東北へ来てから、たびたびこういう目に遭う。しかも相手は「いい大人」である。「心はオジサン」には理解できない行為だ。

 最近になって思うのは、「他人は自分と同じ」と思っている人が少なくないということである。恐らく「断れば」、(自分と同じように)相手は腹をたて、報復行為に出るか、このことを言いふらすかもしれない、とでも思うのだろうか?

 この貧困な想像力についていけない。


 こちらが知りたいのは、「断る理由」である。それがなければ、次の提案に分析、活用ができない。ダメだったことはいろいろな事情があったからだろうから仕方ないとして、何よりもその事情が知りたい。こちらは労を尽くしていろいろな情報を提供しているのだから、知る権利があるはずだ。


 にも関わらず黙って「察してくれよ」という「甘え」に我慢がならない。怒っている理由は、そういう狭量な人間と「同じタイプの人間」と思われたことであって、「断る」ことではないのに。

 ビジネスとはあらためてコミュニケーションで成り立っているということを実感する。

 だから東北はビジネスをする処ではないのかもしれない。