今一度古い記事の数々に目を通している。

目にする記事は「偶然」目にしているというより辿り着いていると表現した方が良い気がする。

今も春馬くんはいろいろな方法でたくさんの方々に働きかけて色々なことを知らせようとしているようなのだが、こと私に関しては感知するのに時間がかかり申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


四年前読んでいたはずの春馬くん事件の記事の数々をじっくり読み返して、やはりみんな初めから真相に辿り着いていたんだと改めて気付かされる。

たくさんの人が感じた自◯という違和感…


多分私たちは春馬くんが本当はもっと長い人生を生きるはずだったのに途中で断ち切られた悲しみの叫びを聞き、受け取りそして感じ、寄り添ったのだと思う。


語り継ぎ、春馬くんを想う日々を続けて行こう。

風化させない…何事もなかったようなこの違和感と世の中への疑問を訴えていこう。

未解決事件なのだという自覚を警察に持ってもらおう。