gakunohana さんから「太陽の子」の上映会でのエピソードのレポートを送っていただきました。
改めて、ブログ上で皆さんとシェアさせていただきたいと思います。
中学生の学生さんたちを連れて、宣伝チラシを持参して上映会へ参加をされたgakunohana さんを想像しながら、『春馬くんはきっと一緒にこの場所にいただろうな』と思いました。そして、2回目と3回目上映時には、館長さんと受付の方がgakunohana さんのチラシを入場者に配ってくださったというところを読んで、春馬くんがそこにいたことを確信しました。
gakunohana さんのような地道な布教?活動…素晴らしいと思います。今年の夏休みも大活躍のgakunohana さんです。
筑波海軍航空隊記念館、私もぜひ一度行きたいと思います。
gakunohana さん、ありがとうございます😊
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私の生徒以外、若い学生の姿が皆無、という状況がとても残念でした。でも、生徒たちは真剣に鑑賞していました。「知らなかった……」が第一声。日本で原爆開発が行われていた事実が、とてもショックだったようです。
午後からは、会場から車で数分の筑波海軍航空隊記念館へ移動。私はどうしても、映画のあとにここを見せたかったのです。
「もう、特攻ゲームで笑えないな」と、ある生徒が呟きました。
さらに2時からは、「ロケ地ガイド」に参加。これは、以前レポートさせていただいた、茨城フィルムコミッションのYさん(TWO WEEKS のロケの時に春馬くんから声をかけられた方)によるガイドで、Yさんの熱のこもった説明が圧巻なので、ぜひ生徒たちに聞かせたいと思いました。Yさんの映画愛、仕事愛に触れさせたかったのです。
昭和の初めに建てられた旧司令部庁舎ですから、冷房はありません。(東日本大震災前は病院として使われていたので、そのときはあったのですが、ロケ地として使われるようになったので、取り外したのだそうです) サウナのような館内での、さまざまな撮影エピソードの紹介は、今日も熱いものでした。
参加者のほとんどは、コアな映画ファンのようで、春馬ファンはおそらくいなかったと思いますが、Yさんはいつものように、春馬くんの話題を出してくれました。
春馬くんには直接関係しませんが、「太陽の子」の撮影裏話で印象に残ったことがひとつ。それは、冒頭の窯場の火のシーン。監督の指示は、1200℃の炎を、でしたが、撮影隊が来たのは一日だけ、一日でそこまで温度が上がるわけもなく、Yさんたちフィルムコミッションの人たちが三日三晩交代で窯に薪をくべ続けた、その結果があの炎の色……だそうです。
そのような裏方の人たちの協力を、さまざまな仕事で知っているからこそ、春馬くんはYさんに声をかけたのでしょうね。「いつもありがとうございます」と。
機会がありましたら、皆さんもぜひ、筑波海軍航空隊記念館を、できればロケ地ガイドがある日にお訪ねください。200以上ものドラマ、映画作品のロケ地になっている建物は、そうそうないと思います。学校、警察、病院がドラマの3大舞台なのだそうですが、旧司令部庁舎は、いずれにも使用されています。
さて、上映会用に、私は宣伝チラシを2種類作っていました。1枚は、「森の学校」は今も毎日土浦セントラルシネマズで上映されています、と知らせるのが目的のもの。自分なりの内容紹介を書き、裏には去年のイベントの際に書いてもらった感想の一部を載せました。(本物のフライヤーと重ねてホッチキス留め)
そして2枚目は、「太陽の子」の裕之役を演じたのは土浦出身の三浦春馬さんです、春馬さんとはこういう役者でした、ということを紹介するもの。黒崎監督やプロデューサー、メイクさんなどの春馬くん評(パンフレットを一部引用)を自分の言葉でつなぎ、最後に春馬くん自身の言葉を載せました。
しかし、これをどう観客に渡すか、が問題です。事前にトモアに連絡すると、個人の布教活動になるようなものは遠慮願います、ロビーに置くのはいいですよ、という回答。公共の施設ですから、やむを得ません。
ロビーではパネルの展示もあり、それを見ていた方がチラシに気づいて取っていってくれましたが、ごく少数。ああ無駄だったかな、と落胆していたら……なんと、2回目と3回目の上映の際には、受付で館長とスタッフの方が、施設の配布物と一緒に私のチラシを渡してくださったのです。決して個人の利益追求や布教目的ではないと、読んで判断してくださったのでしょうか。
2回目に参加した東京の春友さんによれば、客の入りは定員の半数程度、3回目は記念館から戻り自分で確認しましたが、もっと少なかったと思います。
ですから、私のチラシを受け取った人はごく少数。それでも、「あら、土浦でやってるの? 行ってみるわ」とか、「三浦春馬って、こういう人だったの~?」と声をかけてくれた人もいました。
ふだん煩いくらいの生徒たちは、今日は言葉少なでした。きっと、それぞれ思うことがあったのだと、信じます。
「先生、今度は『永遠の0』が観たい」
若い世代への継承ということを、私たち大人は、もっともっと真剣に考えなければ、と思いながら帰途につきました。
そして2枚目は、「太陽の子」の裕之役を演じたのは土浦出身の三浦春馬さんです、春馬さんとはこういう役者でした、ということを紹介するもの。黒崎監督やプロデューサー、メイクさんなどの春馬くん評(パンフレットを一部引用)を自分の言葉でつなぎ、最後に春馬くん自身の言葉を載せました。
しかし、これをどう観客に渡すか、が問題です。事前にトモアに連絡すると、個人の布教活動になるようなものは遠慮願います、ロビーに置くのはいいですよ、という回答。公共の施設ですから、やむを得ません。
ロビーではパネルの展示もあり、それを見ていた方がチラシに気づいて取っていってくれましたが、ごく少数。ああ無駄だったかな、と落胆していたら……なんと、2回目と3回目の上映の際には、受付で館長とスタッフの方が、施設の配布物と一緒に私のチラシを渡してくださったのです。決して個人の利益追求や布教目的ではないと、読んで判断してくださったのでしょうか。
2回目に参加した東京の春友さんによれば、客の入りは定員の半数程度、3回目は記念館から戻り自分で確認しましたが、もっと少なかったと思います。
ですから、私のチラシを受け取った人はごく少数。それでも、「あら、土浦でやってるの? 行ってみるわ」とか、「三浦春馬って、こういう人だったの~?」と声をかけてくれた人もいました。
ふだん煩いくらいの生徒たちは、今日は言葉少なでした。きっと、それぞれ思うことがあったのだと、信じます。
「先生、今度は『永遠の0』が観たい」
若い世代への継承ということを、私たち大人は、もっともっと真剣に考えなければ、と思いながら帰途につきました。