今朝の光の妖精🧚春馬くんは海で泳いでいました。

(私の切ない妄想です)

見つかりますか?


momoken さんとgakunohana さんの「よりよく生きること」に寄せていただいたお二人のコメントを平行して読んでいただきながらこの記事を読んでいただくと、なぜまたこの記事について皆さんと考えてみたいのかがお分かりになると思います。

この記事を読んでから次のこの記事を読んでみてください。


そして次が…


何これ?


元々、この2019年の対談は「アイネクライネハトムジーク」の映画の番宣が目的のはず…

よーく読んでみてください。

キンキーブーツに関しては手短に答えてはいるけれど、決してそっけないようには思えない。

アイネクライネハトムジークに関してはきちんと丁寧に答えているし、ところどころで声を出して笑っている。




2022年(現代)と今年2024(文春)年に二回春馬くんの「そっけなかった」ことを書いている。

なぜだろう。

そんなに根に持つようなことだろうか?

そっけなかったことと、彼女が考える春馬くんの亡くなり方がなぜ結びつくのかが理解し難い。


ただ単に「私は二度お金を出して二度も観に行っているのよ。感謝が足りないわ。この私が行ったのよ。なぜ私がこんだけ熱弁してるのに乗って来ないの? 私を誰だと思っているの?H🌴M子よ!」…

ということでしょうか?

それにしてもなぜ亡くなった春馬くんの印象を下げるような記事を本人がもう反論できないのを承知で二度も書くのでしょうか?

誰かに依頼されたか、対談のノリが悪かったことを五年経っても許せずにいるのでしょうか?

品格の欠片もないと感じてしまう人は多いと思います。

元文春編集長は、『連載中の作家の悪口を雑誌で書くことは、編集部の掲載判断が間違っていたことを自ら認めることになりかねないので、慎重に考えなくてはいけないと思います。ただ、書き手が公人として、公の仕事をしている場合は話が別です』と前置きした上で彼女の批判をしています。 大学の理事長という地位のある人が、亡くなった人を悪く言う…彼女の言い分は、たぶん、「悪口ではなくそっけなかったと言っただけ」…


この人の真意は何でしょうか?


久しぶりに沸々としたものが込み上げてきます。