超短編小説: 「交換メール」その1


 〈再会〉

 あの日から貴方の時計は止まったままなのに、私の時計は動いている。私は年を重ね、貴方はあの日のまま…

 貴方とメールの交換を始めたのはロンドンから帰って来てからだったよね。私は貴方の正体を知らず、貴方も私の職業も年齢も日本のどこに住んでいるのかさえ知らなかった。あと一時間で羽田空港に到着するビジネスクラスの座席の隣で帽子を目深にかぶり眼鏡をかけた貴方がイヤホンを外した私に初めて声をかけたんだよね。

 「帰りの方が少し早く到着するんですね」

 「そうみたいですね」

 ふと横を向いて貴方の顔を見た時、なんだか懐かしい人に再会したようなそんな気がした。貴方の瞳はキラキラしていた。

 「お仕事ですか」

 と貴方が訊いた。

 「なぜそう思われるのですか」

 「ロンドンで…貴方はトレンチコートを着ていてイギリス人の方と日本人の方の通訳をしていて、その真後ろを歩いていました。あっ僕、ストーカーじゃありませんよ」

 「もしかしてあの、スカーフを落とした時拾ってくれた方ですか」

 「はいそうです。良かったあ。憶えていてくれてた!」

 

 私と貴方は飛行機を降りるまでずっとロンドンの事を話していた。一時間があっという間に過ぎて貴方は私に貴方の連絡先を書いてくれた。

私は私の連絡先を貴方の携帯の連絡先に入力…

飛行機を降りる直前、貴方は握手の代わりにハグをした。まあ会ったのは一応二度目だし、これもありかなと思った。

あれが最初で最後のハグだったのなら、もっとぎゅっと抱きしめておけば良かったと思う。貴方は良いにおいがした。


〈2017年〉

 

 私の容姿は日本では少し浮いてしまう。この容姿で日本語を話すと皆ギョッとする。貴方は私が通訳だと初めから知っていたから私と貴方の間に壁はなかったね。

 クライアントがイギリス人かアメリカ人の私へのメールは英語が殆どだ。日本に到着して一カ月が経った頃、貴方から日本語でメールが届いた。貴方は時々メールの交換ができたら嬉しいと書いてきた。  貴方のメールは時々ではなく、毎日だった。いつも日記のようなメールだった。3回目のメールから、私も毎日、日記のようなメールを書いた。

 いつもお互いニ〜三行の感想を書き、その後はひたすらその日にあったことを報告していた。

 貴方の目に映る東京の街並みは美しかったけれど、貴方が感じる東京で働く人は時に傲慢で時には浅はかだった。それでも良い所を一生懸命探している貴方がそこにいた。

 私も貴方も、お互いどうして欲しいわけでもなくお互いの日常を映画を観るように読んでいた。そう、読む日常だったのだ。誰かが読んでいる日常は、少しだけ靄がかかる。書き方と読み方に…

 

 日本に帰って来てからしばらく、貴方の目にはいつも東京タワーが映っていた。時には近くから、時にはビルの屋上から…スーツを着ることが多いと言った。それは私がイメージする貴方とは少し違っていて、うまくスーツ姿の貴方をイメージできずに戸惑った。私は貴方に質問することはなく、ただ今日も東京のどこかにいる貴方の毎日を読んでいた。

 私はこのまま日本にいて仕事をするかしないか正直迷っていた。付き合っている人がロンドンにいるわけでもなく、家族は皆、父の定年とともに日本に戻って来ていた。ロンドンで生まれて育った私にとって友達と呼べるのは貴方しかいなかった。

 貴方は時々学校の制服も着ていると書いた。益々貴方は私を迷わせた。どう見ても貴方は高校生には見えなかったから。

 十二月初頭、貴方は島根県に足を運んだ。島根県がどこにあるのか私にはわからないから日本地図で島根県を探した。貴方は時々、「唯一の読者である私」を忘れて解説無しにそこで何をしたかも書かずそこで買ったものだけを書いている時もあった。ここではシジミを買ったらしい。

 時々疑問がむくむくと湧いてくることはあったけれど、このメール交換の流れを変えてしまうようで、私は貴方に何も訊かなかった。

 十二月の東京は私にとってはそれほど寒くなくて、クライアントもクリスマス前には故郷でクリスマスを迎える人が多く、私はあまり仕事がなかった。短期契約で借りているマンションにミニチュアのクリスマスツリーを飾った。その写真を撮って貴方に送った。貴方はどこのホテルで写したんだろう、大きなツリーの写真を送ってくれた。

 クリスマスイブの日、貴方は一人で家で本を読んでいると書いた。私と貴方は似ているところがあるなと思っていたけれど、私は貴方に伝えなかった。

 クリスマスを初めて一人で過ごした夜、私は自分がひとりっ子であることをメールに書いた。ひとりっ子は一人で遊ぶのがうまいと思っていること、いつも本を読んでいること、妄想癖があることを書いた。貴方のこの日のメールには、『おんなじだね…』しか書いていなかった。

 「繋がっている」…

 年の瀬の世の中が忙しそうにしている間、私は貴方からのメールを楽しみにしていた。