ブログをやっていて良かったなあと思う瞬間は、皆さんから届くレポートやコメントを初めに読める事です。
今夜はこのmomoken さんの大龍でのレポートを読んで、色々なことが頭の中に映像で浮かんで号泣…
momoken さん、本当にありがとうございます。

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赤い店舗テントに大龍の文字。春馬くんが何度も見た看板。店内は明るく可愛い大衆食堂風。

壁に飾られたサングラスで笑顔の春馬くんの写真が目に入る。エプロン姿の卯都木さんがお皿やお水を運んでいる。師匠の早変わりにびっくり。
あらかじめクジで決まっている席に着く。春馬くんの写真が見える位置だったのは嬉しかった。
麻婆豆腐、豚肉モヤシ炒め、鶏の唐揚げがテーブルに。春馬くんの好物をいただきながら、初対面の春馬くんファンと談笑できる幸せを感じた。
お隣りは、あの「日本製届け隊」活動をなさっている素晴らしい鉛筆画を描く方。すでに430冊を届けたとのこと。電話をかけたのは1000件くらいだそう。本当に春馬くんのために時間もエネルギーも使っていることに敬服する。

お腹が満たされた頃、社長さんのリクエストもあり、卯都木さんが春馬くんのことを語ってくださる。
再現してみたいと思う。

ここに来て座ってない席はないよ (歓声があがる)。
僕が配慮して、お客さんに背を向けるように座らせた。回数いっぱい来た、100回以上は来てる。若い頃はお母さんと3人で来たこともあった(キャッチアウェーブのころかな)。
あの写真は僕がここで撮ったんだ。(確かにバックの壁の花柄が今のものと同じで、確かに春馬くんはここにいたんだと思うと切ない。)
運動神経はめちゃめちゃ良かった。体幹を使う。僕と春馬がやってたのはショートボードって言って、一番難しい。普通の人でも半年ぐらいで1秒立てるかどうかぐらい。挫折してロングボードに行く。S平やK拓はロングボード。ロングボードは女の子でも一日で立てます。F1マシーンを扱うくらいの違いがある。こういうこと言っちゃいけないんだろうけど、先生がいいから(拍手と笑いが店内に)。
キンキーブーツの前とかは、休みの日は全部一緒にいたんで。銀魂の舞台挨拶も、あの浜から行きました。新宿であったと思うけど、一緒にサーフィンして、僕の家に寄って自分の車に乗り換えて行った。
サーフィンが大好きで、ライフスタイルの中にサーフィンがあった。
僕のことは、普通に「卯都木さん」と呼んでた。
お母さんと再婚した旦那さんは、偶然、僕と同じ歳なんだけど、もともとの知り合いじゃない、春馬を通じて知り合ったんだ。そこから色々あって、忙しくなって、お父さんお母さんと会わなくなった。
その頃から、僕が親代わりみたいになって、僕の息子3人と春馬と4人で行動するようになってた。いつも一緒にサーフィンしたり、ご飯を食べたり。
卯都木さんという呼び方は変わらなかったけど、頼られてたな。僕もね、本人に対して、大人の事情で言えないことばかりだけど、親代わりになってた。
彼は僕より稼いでたんで(いっせいに笑い声)、つくばの高級焼肉や、いきなりステーキに連れて行ってくれて、払ってくれたよ。いきなりステーキは30回くらい行った。、300g食べてた。アメックスゴールドで払ってたよ、
でも、金銭感覚は僕よりまともでした。小銭入れ持ってて、コンビニて水買ったり、スーパーで値段見て「たけっ」って言ったりしてた。コンビニはセブンが好きで、最後に住んでたところの近くにはローソンしかなくて、「おにぎりが死ぬほどまずい」って言ってたよ。
飲む時は、つくばで。たまに仕事あるけど飲みたい時は生ビール飲ませて、車のシート倒して、いつも寝かせたよ。どこでも寝ちゃう。
僕の家で日本酒飲んだりして「じゃあ寝るね」って言って、2階に上がって寝て、朝起きて、僕がご飯作って食べさせて「じゃあ逃亡してくるね」って言って、TWO WEEKSの頃は出かけてた。
16年間で唯一日焼けしていい時だったのが、この頃。次が、太陽の子、天外者と続いたから、日焼け気にせずサーフィンできた年です。
女子力が高いっていうか、真っ白になるくらい日焼け止め塗ってたよ。年取ったらやばいからって、僕にも塗るようにと手にクリームのせてくれた。

海で会ったサーファーに話しかけたら、春馬くんと一緒にサーフィンをしていた方だったという参加者の話が披露された。キャッチアウェーブの頃から知っていると。「今度、銀魂っていう映画に脇役で出ます。」と言ってたと。この方に、師匠は自分が留守の時「春馬をよろしく」と頼んだりもしたそう。

今回、想定外のサーフィン師匠との交流を通じて、春馬くんにとって鉾田の海は心の大きな支えだったのだと改めて思った。あのコロナ禍でサーフィンも卯都木さんと会うことも、真面目な春馬くんは控えていたであろうことを思うと胸が痛んだ。

大龍からバスが出発する時、師匠は両手を振って送ってくださった。女将さんと、お孫さん達も一緒に手を振ってくださっていた。親代わりだったという師匠との別れを惜しんだ。お元気でいてください。
春馬くんのためにも。

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