昨日の夕焼け


今日の景色…すっきりしない空模様…


今日Yahooで紹介されていた記事を読んでしばらく手にしていなかった絵本を今朝改めて数冊読みました。

https://mainichi.jp/articles/20240211/k00/00m/100/025000c



国語力というか言語能力の差は幼い頃に親が読み聞かせをしていたかいないかで差がつくような気がします。

寝る前に親が本を読んであげるという習慣はとても大切だと思います。

お仕事で忙しくて疲れていても10分でも15分でも時間を一緒に過ごす…

同じ本を繰り返し読んでも良いと思うのです。

暗記してしまうぐらい読んでも良いと思います。


個人的には長新太さんの「キャベツくん」…とっても好きです。

Dr. SEUSS の「GREEN EGGS AND HAM」も大好きです..

そしてバージニア リー バートンさんの 「ちいさいおうち」…大人になってからこの絵本に描かれたおうちに似ている家をシアトルで見つけて思わず写真を撮りました。両隣がビルだけれどそのビルに囲まれて建つちいさいおうち…


幼い子供さんがいる方はまだお若い方がほとんどで、若い方々にとっての10分は多分長く感じるでしょう。

『早く寝てくれ』と願いながら読んでいて途中で寝落ちしてしまう方も多いのではないでしょうか?

それでもその子供の横で毎晩本を読み聞かせるという習慣はお子さんの生涯の言語能力を左右することなのだと頭の隅に置いておくと良いのではと思います。


毎年生徒たちに聞く質問の中に「幼い頃寝る前に親と一緒に絵本を読みましたか」という項目を設けています。習う言語が違ってもこの経験があるとないでは大きな差が出てくることがわかります。

春馬くんがよく言っていた「想像力を働かせる」ことができると習いたての言葉の数々を繋げてどういうシチュエーションかを理解できるし、自分の文化との相違点を瞬時に把握できるのです。


大人になってからの春馬くんはたくさんの本を読んでいました。

ひとりっ子だったということもあると思うけれど、想像の世界で遊ぶことが多かったのは、多分3歳までにお母様が絵本の読み聞かせをしてあげていたのではないかなと勝手に想像しています。


昨今,漫画や小説の実写化の作者とドラマや映画制作者の意見の食い違いが悲しい結果を生んだ問題になっていますが、原点に帰って考えてみると、その作者が意図していたものを違う解釈で捉えられてしまうのは、読み手や制作者それぞれの解釈の差、想像している風景や人の描写の差も大きく影響しているのかなあと思います。(ただ漫画であればそこに風景は描いてある)

制作にあたってのプランをよく理解できていないとあのような悲劇を生んでしまうひとつの原因かと思います。

制作側の傲慢さも今まで許されてきた上からものを言うような態度も今回のことで改めるべきことだと思います。

ですから、実写化をするのであれば、原作者と制作者の間できちんとした細かい内容の書いてある契約書を交わす必要があると思います。

納得しない内容の契約書であれば実写化を許可しないことが前提となるべきです。

日本人の場合、人に合わせてしまう、不快を与えない配慮の方に重きをおいてしまう傾向があります。

話し合いでは解決しづらい傾向にあるものは全て契約書を通してからという形にした方が感情が入らず誰も悲しい思いをせずに解決できると思います。

ほとんどの実写化している作品の感想は「原作の方が良い」となるか「あまり原作のイメージから離れすぎないでよかった」というもの…

進撃の巨人の時に主演である春馬くんが叩かれたのも、原作のファンが映画を観てあまりの違いに批判しその矛先が春馬くんに向かったのですよね。

ただこの映画には原作者も携わったと思うのですが…


人の命が奪われないと解決しない…

命懸けでないと告発もできない…

最近思うことは、こういうことはずっと昔からあって、コンピューターやスマホのない時代は情報操作によって知らずにいたことを私たちが知るようになったということですよね。

悪いことは悪い、良いことは良いと命を脅かされることなく発信できる世の中にシフトして行くと良いですね。



あー春馬くんの笑顔…良いですねえ!