今日は父が好きだったグアムのビーチの写真を載せたいと思います。
昨日会った時はもう顎で息をしている感じで、苦しそうで、もう血圧も測れず、脈も測れない状態…お願いだから目を閉じて眠ってね、このままじゃ帰れないよと心の中で呟いていたら、看護師さんに促され病室を後にしました。
こんな危篤状態でも規則だからと帰されるということにどうしても素直になれない自分がそこにいました。
今日は面会時間までまだ時間があったので従姉たちとお昼を食べて食べ終わったところで電話が来て…いつもはあまりタクシーを使う人がいない時間帯だったのに長蛇の列…
病室に入ったらもう父は逝ってしまっていました。
昨日は「私がここにいることわかる?」と訊くとちゃんと微かに頷いていたのに、今日は動いてくれなくて…
私がいない時に亡くならないでねってお願いしてたのに…
父はいつも穏やかで、何でも器用にできる人でした。その昔、父は若い頃、そしてコンピューターの普及していない頃、パイロットが撮影してきた航空写真から地図を作成する人でした(地図制作者と言うのでしょうか)。米国が次にどこで戦争をするかは大体予想ができていたようです。物理がとっても得意な人でもありました。
父は朝から晩までずっと機嫌の良い人でした。
ですから今回ガンになった父の眉間に皺が寄るのを初めて見たのです。痛みで顔をしかめるけれど、痛いとは一言も言いませんでした。
絞ったスイカを今日は少しだけ唇に塗ってあげようとスイカをカバンに入れて持っていましたが、まさか父が亡くなってから…になってしまうとは…
あまりにもあっけないお別れで、いまだに気持ちがついて行っていません。
幼い頃、父がよくおんぶしてくれて、その大きな背中に耳をあてて、「あーって言って」と私が言うと父が「あー」と言い、それを背中を通して聞くのが好きでした。
春馬くんが亡くなって、次の年に母、そして今日は父も逝ってしまいました。
あまりにもあっけなくて淋しくて、こうして書くことでバランスを保っている気がします。