おはようございます。
momoken さんが土浦セントラルシネマズさんで行われた舞台挨拶の模様をレポートしてくださいました。皆さんとシェアさせていただきます。ありがとうございます。
以下はPart 1です。
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田中光敏監督&田上晃吉さん in 土浦セントラルシネマズ (9月30日)
夕刻から始まった2回目の舞台挨拶。寺内館長の呼び声で左手のドアが開かれると、館長の可愛いお孫さんにエスコートされて田中光敏監督と田上晃吉さんがにこやかに入ってこられました。会場の拍手の中、スクリーン前に設けられたステージ上に。天外者の筆文字の提灯と春馬くんユニコーンも一緒に。春馬くんの大きな写真のパネルも。(上映時のポスターと同じもの。田中監督と田上さんのサイン付きで)
最初に土浦市の安藤市長から託された挨拶文が披露されました。
「土浦の誇る老舗映画館セントラルシネマズで、三浦春馬さんの主演映画天外者の上映会が開かれることに心よりお祝い申し上げます。三浦さんは令和2年7月に亡くなるまで日本を代表する俳優として活躍されました。土浦は三浦春馬さんが育ったところです。彼が永遠に皆さまの心に輝き続けることを願っています。」(もう少し長かったです。監督と田上さんに向けたコメントもあったような・・・。)
田中監督 素敵な笑顔で「みなさんの思いにうたれます。ありがたいです。実は、鹿児島大学で開催される天外者のシンポジウムに招かれたんです。五代友厚をどうしてあのように描いたのかなどのことを話すことになるでしょう。再来年、歴史の教科書が変わるんです。五代友厚が政商であるというのが濡れ衣だったということ。五代友厚を三浦春馬が演じて、皆さんがこうして何度も観てくださったおかげです。」会場内に大きな拍手。
「春馬くん、そうでしょうと言っていると思う。春馬くんに五代友厚ってどんな感じ?って訊かれた時、大久保利通宛の手紙を見せたんです。目下の意見を聞け、人の意見を聞いて弱い人の意見を聞くこと。腑に落ちたって。三浦春馬は2年間五代友厚について勉強していました。薩摩では、五代さんは人気ないんです。せごどんが人気あるんです。」
田上さんの方を見ながら、「亮平くんに薩摩弁を指導したのも彼です。」田上さんが笑顔で「亮平くんね」と。(春馬くんが鈴木亮平さんに薩摩弁の指導者を紹介してもらったという記事を読んだことがありましたが、田上さんだったのですね。)
監督「五代は政商のままだった。映画終わったら攻撃されるかもって(五代をヒーローにしたら)。だから、資料を紐解いて紐解いて友厚像を作り上げた。
五代友厚はいい男です。大阪で当時の経営者達からは攻撃されましたが、葬儀の日に弔問客で大阪の街の機能が麻痺したっていう史実、つまりチャンスをもらった若い人たちがいっぱいいた、ヒーローで描かないと。歴史的には間違っているかもしれないけれど、エンタメとしてはこう描く、春馬くんと一致しました。」
田上「春馬くんの最初の挨拶が、1ヶ月間五代友厚として生きもうすって薩摩弁でした。」
監督「納得したことはしっかりと受けとめて生きている。ぶれない人です、春馬くんは。」
田上さんも同意して頷いていました。