HEART花火に参加したmomoken さんからレポートが届きました。
momoken さんありがとうございました。
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HEART花火20234月1日土曜日の午前、仕事をしながら「今日は時間通り終わって~」と心の声が。きっちり正午に終了。神さまに感謝。身支度をして急いで駅に向かう。予定通り新幹線に乗り上野で常磐線に。土浦到着後チェックインして、花火鑑賞のためにウールのストールなどをトートバッグに入れてホテルを出た。
花火会場の土浦埠頭での受付開始は午後5時。その前に、まずは真鍋小に。駅前でタクシーを拾い、運転手さんに「真鍋小経由で土浦埠頭そばのりんりんポートまで。真鍋小で桜を観るので5分間待っててください。りんりんポートに5時に着けますか?」「大丈夫ですよ、余裕です。」
校門から入って真正面にある県の天然記念物指定の桜は満開を少し過ぎた様子だが美しい。校庭の真ん中に並ぶ数本の木からは桜吹雪が舞い降りていた。
土曜日の午後、桜の見納めを楽しむ老若男女が三々五々群れていた。ひとりでゆっくり眺める人も、走ってはしゃぐ子ども達もいる。春馬くんも、ここで走ってたよね、きっと。
運転手さん「新川や桜川沿いも綺麗なんですよ。」(うん、わかっているけど、真鍋小の桜で私は満足なの)
「りんりんポートで何かあるんですか?」「今晩、素敵な人の誕生日を祝う花火があがるんです。」「どなたなんですか?」「お若くして天国に行ってしまった俳優さんです。土浦出身の。」「あ~思い出しました。あの時は凄い騒ぎでしたよ。沢山の方が三浦さんゆかりの場所に行きたいと希望されてタクシーを利用してました。あちこちに案内しましたよ。」「三浦春馬さんは、もちろん外見も素敵ですが、演技力も歌もダンスも殺陣も一流で実力派俳優だし、心もとっても美しい人なんです。汚れた芸能界では生きづらかったと思います。」「そうなんでしょうね、あの世界は。」春馬くんを土浦の誇りとして忘れないでいて欲しいと運転手さんにお願いした。
運転手さんから土浦花火大会の時は12万の土浦の人口が80万にも増えるとの話を聞き、春馬くんが好きな花火大会の規模の大きさを知る。
りんりんポートに着くと、女性たちが土浦新港埠頭に向かって歩いている。そばを歩く方に「どちらからですか?」と声をかけると、東京から仕事帰りにそのまま来たとのこと。並んで春馬くんのことを語りながら埠頭まで歩いた。
受付でサイリウムライトを渡されるも「なんですか?これ。」と若くない私は初体験のものにキョトン。「折ると光ります。」なるほど。
集まった人は160人。クラウドファンディングの協力者は309人だそう。春馬くんパワーの凄さを思い、彼の偉大さに改めて感じる。
午後6時、セレモニーが始まる。企画を立ち上げ実行してくださった3人の女性のうちのおひとりの挨拶の言葉から。これだけのイベントをやり遂げるパワーに敬服する。花火をあげるには、市役所、消防、警察の許可が必要とのこと。山﨑煙火さんとの打ち合わせもある。クラファンのことなど煩雑な手続きを手弁当でやってくださったことに、ただただ頭が下がる思いだ。
ご挨拶をしてくださった男性がお二人。男性が春馬くんのことを語ってくださるのを聴くのは嬉しいし心強い。
一人目は、元土浦市副市長の小泉様。花火鑑賞士として活動されている。講演などでお話しする時には、春馬くんが土浦花火大会が好きであったことなどのエピソードを語るとのこと。
「春馬さんは、土浦花火大会をいつも打ち上げ場所から離れた丘の上でお母さんと見ていたらしいのですが、28歳の時に初めて打ち上げ会場近くの広場で首が痛くなるくらい真上に上がる花火を見て、改めて土浦花火の素晴らしさを実感し感動したとおっしゃっていました。」
この28歳の時にお母さまが一緒だったかを聞き漏らしたのかうろ覚えではっきりしない。自分の脳の衰えを感じる。主催者さん達が、いずれ動画を作ってくださるだろう。
日本製には「2016年に初めて河川敷で見た」という文章があるが26歳だから、この時とは別に、もっと近くの打ち上げ会場の間近で28歳の時に見たのだろうか。
2人目は山﨑煙火製造所の4代目社長山﨑智弘様。
日本製の旅で春馬くんがお話しした山﨑芳男さんの息子さん?かと。
「私は直接春馬さんを案内していないのですが、すごく好青年ですごく礼儀正しい子だったなという印象が残っています。土浦の花火を楽しみにしていて、毎年ずっと見ていましたよと温かいお言葉を話してくれました。今日、あそこにいる佐々木という者が春馬さんをアテンドして、お話ししながら工場を案内させていただきました。花火も芸能界も華やかな世界ではありますが、一歩裏の世界と言いますか下積みで苦労されたことの話もあってじーんとしたこともあったようです。
今日は、皆さんの思い願いをのせて、花火を土浦市の夜空に打ち上げたいと思います。」
練習をした掛け声「春馬さん、お誕生日おめでとう、3、2、1、スタート!」と160人で声を合わせ、手首に巻いたサイリウムをあげる。同時に、鎮魂の花火「白菊」の大輪がひとつ離れた埠頭から上がりドーンと夜空に広がる。「わぁ~」歓声と拍手。白菊が5発ほど上がって、春馬くんを偲ぶ。
その後、10分間にわたって、赤やオレンジや金色に輝く花火が沢山上がった。スターマインという同時に高低差をつけていくつもの花火が上がり、連続して何十発も打ち上げるとても豪華なものもあり、山﨑煙火さんの気持ちが嬉しかった。歓声と拍手が繰り返された。「春馬くんにも見えてるよね。」との声に、私は素直にそうだよねとは思えず、本当は春馬くんは生きて土浦花火大会にまた来たかったはずとひとり悔しくなっていた。
花火が地面から上がって行く様子を初めて間近で見たが、花火は小さな螺旋を描きながら上がっていくように見えた。上がって行く時のワクワク感と開いた時のキラキラ感に一瞬多幸感に浸れる。春馬くんはこの花火を見て心踊っていたのだろう。
イベント終了後、来る時に一緒に歩いた仕事帰り直行の方とお喋りしながら土浦駅まで歩いた。2人とも初対面とは思えないくらい、あーだこーだと春馬くんのことを話した。駅に着いてからも立ち話を1時間くらいした。まだまだ続きそうな勢いだったがLINEを繋げてお別れした。春馬くんが繋いでくれるご縁は日本中に広がっていると思う。
一人目は、元土浦市副市長の小泉様。花火鑑賞士として活動されている。講演などでお話しする時には、春馬くんが土浦花火大会が好きであったことなどのエピソードを語るとのこと。
「春馬さんは、土浦花火大会をいつも打ち上げ場所から離れた丘の上でお母さんと見ていたらしいのですが、28歳の時に初めて打ち上げ会場近くの広場で首が痛くなるくらい真上に上がる花火を見て、改めて土浦花火の素晴らしさを実感し感動したとおっしゃっていました。」
この28歳の時にお母さまが一緒だったかを聞き漏らしたのかうろ覚えではっきりしない。自分の脳の衰えを感じる。主催者さん達が、いずれ動画を作ってくださるだろう。
日本製には「2016年に初めて河川敷で見た」という文章があるが26歳だから、この時とは別に、もっと近くの打ち上げ会場の間近で28歳の時に見たのだろうか。
2人目は山﨑煙火製造所の4代目社長山﨑智弘様。
日本製の旅で春馬くんがお話しした山﨑芳男さんの息子さん?かと。
「私は直接春馬さんを案内していないのですが、すごく好青年ですごく礼儀正しい子だったなという印象が残っています。土浦の花火を楽しみにしていて、毎年ずっと見ていましたよと温かいお言葉を話してくれました。今日、あそこにいる佐々木という者が春馬さんをアテンドして、お話ししながら工場を案内させていただきました。花火も芸能界も華やかな世界ではありますが、一歩裏の世界と言いますか下積みで苦労されたことの話もあってじーんとしたこともあったようです。
今日は、皆さんの思い願いをのせて、花火を土浦市の夜空に打ち上げたいと思います。」
練習をした掛け声「春馬さん、お誕生日おめでとう、3、2、1、スタート!」と160人で声を合わせ、手首に巻いたサイリウムをあげる。同時に、鎮魂の花火「白菊」の大輪がひとつ離れた埠頭から上がりドーンと夜空に広がる。「わぁ~」歓声と拍手。白菊が5発ほど上がって、春馬くんを偲ぶ。
その後、10分間にわたって、赤やオレンジや金色に輝く花火が沢山上がった。スターマインという同時に高低差をつけていくつもの花火が上がり、連続して何十発も打ち上げるとても豪華なものもあり、山﨑煙火さんの気持ちが嬉しかった。歓声と拍手が繰り返された。「春馬くんにも見えてるよね。」との声に、私は素直にそうだよねとは思えず、本当は春馬くんは生きて土浦花火大会にまた来たかったはずとひとり悔しくなっていた。
花火が地面から上がって行く様子を初めて間近で見たが、花火は小さな螺旋を描きながら上がっていくように見えた。上がって行く時のワクワク感と開いた時のキラキラ感に一瞬多幸感に浸れる。春馬くんはこの花火を見て心踊っていたのだろう。
イベント終了後、来る時に一緒に歩いた仕事帰り直行の方とお喋りしながら土浦駅まで歩いた。2人とも初対面とは思えないくらい、あーだこーだと春馬くんのことを話した。駅に着いてからも立ち話を1時間くらいした。まだまだ続きそうな勢いだったがLINEを繋げてお別れした。春馬くんが繋いでくれるご縁は日本中に広がっていると思う。
https://newstsukuba.jp/43836/19/03/
小泉さんのコラムがあるので貼り付けておきますね。文章の途中に出てくる(2022年7月17日掲載)をクリックするとさらに春馬くんのことを語られたコラムが読めます。
小泉さんのコラムがあるので貼り付けておきますね。文章の途中に出てくる(2022年7月17日掲載)をクリックするとさらに春馬くんのことを語られたコラムが読めます。