Mという文字が浮かんで見えるような気がする夕日…三浦春馬のM…と勝手なこじつけ…

今日は読者のとくさんからいただいたコメントに私が書いた返事を改めて紹介します。


常に「二つの祖国」を比較対照している私にとって、「正義」についてはどちらの国にも存在する難しいテーマだと思っています。


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正義感が強いということは、自分のことを正さなければなりません。
いつも『誰か他の人のことが言えるか』と自問自答しています。

芸能界では「出る杭は打たれる」というかハニートラップやらスキャンダル、薬物で干されるように仕向けられます。
それに引っ掛からなかった人がKされているようです。

日本人は特に長いものに巻かれるし、みんな同じでないと叩かれる。
学校の校則とアメリカの校則の比較を生徒達とするといつも「眉毛を整えることのどこがいけないの?」と問われる。
この国は鎖国をしていたから多様性ではなく協調性を重んじる。

春馬くんだってきっと事務所の方々に「黙って自分の役者のことをしてろよ。何もいうな。おとなしくしてろ」と言われたと思うんです。

声を上げるということは気力と体力が必要です。波風立てなければ誰にも邪魔されず穏やかな1日が終わります。
でもそこで目を瞑ることができない人がいます。
私も含めて…
人のことが言えるかよりも今こそ声を上げる時だと思えば動いている人がいます。
戦略的に生きずに突っ走ってしまう人がいる…そういう人々がいなければこの世は変わりません。
偉くならなくとも、自分の意見が堂々と言える世の中であってほしいと思います。
確かに芸能界に「何のしがらみもなく意見を堂々と言える人は誰か」と訊かれても私には893の親分かバーニンGのSおうさんぐらいしか思い浮かびません。
鴻上さんや本広監督だって仕事が来なくなってしまう可能性がある…

みんなそれぞれ守るべき人や仕事がある…

普通に春馬くんの名前を出して普通に語れない事態がもう異常事態…
とくさんのおっしゃる同調圧力…もここにあります。


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「天外者」も公開になるまでにかなりの時間と苦労があった。

ずっとこの世に「天外者」を残す、五代友厚の名を世に残すという本来の目標を軌道に乗せるまでは、浸透するまでは、五代友厚公と共に春馬くんの法要をしていただくのが精一杯のことなのかも知れないなとも思う。


春馬くんは五代友厚、徳川家康という歴史上の日本のリーダーを演じて、以前以上に物事をもっと広い視野で見るようになり、世の中を良くしたいという思いが強くなったように思う。

演じるということはそういうことだと思う。

その人になりきるのだから…