本当に素敵なお顔…惚れ惚れ致します。
今日は朝から戸棚の整理をしていました。
沖縄に異動して来てからいただくカードや手紙が入っている棚です。
そこに紛れてずっと前に祖母から受け継いだビーズの小さな手提げと1885年のアメリカの1ドルコインが入っていました。1885年というとちょうど開拓時代…この頃のことに想いを馳せながら考えた事があります。136年後、きっと「日本には三浦春馬という名優がいて30歳の若さで逝ってしまった」という文言にたどり着き、春馬くんの写真を見つけた未来の誰かが春馬くんを想うのでしょう…
春馬くんも私達も過去の人にいつかはなるのだけれど、春馬くんは映像や写真の中でいつまでも輝き続けるんだなあと思うと少しだけ救われる気がします。
親より先に逝くのが一番親不孝だ(恩師が話したことを憶えていた)ということを春馬くんは誰よりも知っていたし、お母様にとってはたった一人の息子…
人それぞれの見解はあると思うが、私は自○ではないと思っています。未来を見据えていた人が、責任感の強い人が、命に真剣に向き合うドラマや映画に出演した人が「自ら」を選ぶとは何度考えても思えないのです。
春馬くんは落ち込むことがあるとよく言っていましたが、これは自分に対して厳しすぎる、完璧を求めすぎることがあったからであって、他の人からの圧力で落ち込むことはないと私は個人的に思っていました。
今回、たとえ「低俗な演出家のイジメ」にあっても、9月以降のスケジュールを考えると目眩を起こしそうであっても、コロナ禍であっても、事務所から独立して自分の責任でやっていくんだという覚悟はあったと思うのです。
いつも直感の話を持ち出して辟易されている方がいらっしゃるとは思いますが、あの日、そして1週間後「自○ではない」という言葉が浮かびました。
かなりの数の方が自○ではないのではないかと感じたと確信しています。
人間の能力というのはまだ未知な部分がたくさんあって、そこにはいなくてもわかることってあるんだと思うのです。
これを読んでいらっしゃる皆さんに同意していただけなくても、人それぞれの感じ方考え方があるので、押し付けているつもりはありません。
あの日からたくさんの方々が暗い森の中を出口が見つからずに少しずつ手探りの状態で進もうとされています。
残念ながらこの状態を助けられるのは、事務所の方々が全てを話してくださる以外に方法はありません。
何度考えてもここに辿り着くのです。