旧岩淵水門(赤水門)より荒川土手を下流へ
現在の岩淵水門が近づいてきました
その色から通称「青水門」と呼ばれています
旧水門「赤水門」の老朽化、地盤沈下対策、また洪水調整能力の強化を考え
300mほど下流に作られました
昭和49年(1974年)に着工、昭和57年(1982年)に完成
200年に1回の大洪水にも耐え得るように作られたそうです
現代的な10m幅のゲート3門で構成されており
重さは1枚あたり214tで1500tの水圧に耐えるそうで
増水時は水門を閉じ、荒川上流と隅田川の水流と途絶させるそうです
通常の閉鎖にかかる時間は約45分程
ちなみ手動の閉鎖では30日程かかるとか・・・
これでは大地震等で電源を喪失した場合に閉鎖できなくなってしまうため
自家発電装置や電源が無くても門扉を
自重で降下させることもできるそうですすごい
何度か水門が閉じられた結果、東京の浸水・洪水被害は防がれています
余談ですがその時、ヤクルトスワローズ二軍の戸田球場は完全に水没
かって多摩川など河川敷を練習場にしていた在京プロ野球球団も
二軍の練習拠点を年々郊外移転し、
スワローズも近いうちに戸田から守谷に移転するとか
話が脱線しすぎましたね
さて青水門より下流、隅田川彼方にスカイツリーが見えます
上流荒川側、先ほどまでいた赤水門がよく見えます
赤水門については
帰る前に赤水門の時、気になった
荒川知水資料館(amoa)に寄り道
資料館は
荒川の洪水・水害の歴史や自然環境などの情報発信拠点として
また流域や地域との交流の拠点として
平成10年(1998年) に荒川下流河川事務所の隣に開館したそうです
敷地入り口前に水神社だろうか
1階には荒川に生息する生き物が水槽展示され
2階では江戸時代など、利根川東遷に始まる・荒川の治水歴史
また、近代における荒川放水路建設の経緯や歴史
そして、岩淵水門に始まる現代の治水対策
について勉強できるようになっていました
放水路建設工事で使用されたトロッコ
ちなみに今年は
「荒川放水路通水100周年」に当たるそうです