鈴ヶ森刑場遺跡より旧東海道を北上あしあと

途中解体?保守?で作業中のマンションの一角に神社

(あとでしらべたら)浜川神社神社に通りかかったのですが・・・

立ち入ることが出来ずアセアセそしてカメラ写真撮り忘れてしまいましたガーンショボーン

 

ちなみにその浜川神社神社は、品川区南大井にある神社神社

修験道寺院として天明年間の頃(1781年~1789年)に

修験者の教光院了善が厄神大権現を祀り創祀キラキラ

その後、南町奉行鳥居耀蔵の策略により

 

鳥居耀蔵については下矢印

 

了善は「将軍呪詛ガーン」の濡れ衣を着せられ流罪となりガーン

鳥居の失脚ご赦免され、了善の孫によって再興されたそうです

明治の神仏分離の際に神社となり、浜川神社と称しうずまき

現在は、天祖・諏訪神社神社の兼務社となっているそうです

 

ご祀神は、    須佐之男命
ご相殿に 、   大物主命、少彦名命
境内社に、    天神社、金刀比羅社、弥兵衛稲荷社、浅間社
ご住所は、    品川区南大井2-4-8

だそうです

 

あしあと北上を続けると・・・うずまき

海運稲荷神社神社

 

海運稲荷神社神社は、品川区南大井にある神社神社

三十軒町が明暦元年(1655年)に創設されキラキラ

その際に建立されたといわれていますうずまき

 

ご祀神は、 稲倉魂命

 

ご住所は、    品川区南大井1-19

 

参拝お願い

 

更に北上を続けあしあと京浜急行「立会川駅」付近へうずまき

天祖諏訪神社神社の前を少し通り過ぎるあしあと

と・・・橋がある口笛


立会川が海に注ぐこの辺りの地名「浜川」から「浜川橋」といい
この橋が架けられたのは

徳川家康が江戸入府後の1600年頃といわれうずまき

慶安4年(1651年)品川に鈴ヶ森刑場が設けられ

そこで処刑される罪人らは、馬に乗せられ江戸府内より刑場に護送されうずまき

この時、親族らがひそかに見送りにきてショボーン

立会川に架かるこの橋で共にタラー涙を流しながら別れたということから

「涙橋」と呼ばれるようになったそうですガーン

 

 

小塚原刑場跡近くの荒川区南千住にある思川にかかっていた橋にも

現在は全て暗渠化されましたがガーン

「泪橋」があるそうですびっくり