子安稲荷神社神社から、こちら側が表参道にあたるのだろうか!?

車明治通り側の入口に目

アーチゲートキラキラ

 

車明治通りを池袋駅方向へあしあと

山手線・湘南新宿ラインを越えるアセアセ

 

ちょうど山手線が通過!

いつも気にせずこの下を通過しているわけだ口笛

 

都内有数の事故多発交差点もやもや池袋六ツ又交差点車を過ぎ

山手線沿いの公園遊歩道!?を歩くあしあと

学生もしくは生徒時代アセアセ、釣具の上州屋うお座やボーリングボーリングしに

遊びに来たっけうずまき(もう30年以上前のことだ)

光陰矢の如し!

 

さて山手線沿いの公園の一角に目

なぜこんなところに、水天宮?

池袋水天宮神社は、豊島区東池袋にある水天宮神社

昭和3年(1928年)に池袋の繁栄を願い

日本橋の水天宮で授かった御礼を祀ったのが起源キラキラとされています

その後数度の遷座の末、戦後現在の池袋駅前公園内に

トラック鎮座することとなったそうですうずまき

 

御祀神は、  天御中主大神・安徳天皇・建礼門院・二位ノ尼

 

ご住所は、  豊島区東池袋1-50-23

 

 

そして公園も池袋駅に近づきあしあと

パルコ別館の手前にキラキラ

 

池袋四面塔?そして池袋四面塔稲荷大明神神社

正面右・四面塔尊と左・稲荷大明神神社が並んで祀られている神社神社


四面塔尊は、無縁仏を供養するために建てられた石塔だそうです
四面塔尊の創建は江戸時代中期うずまき

当時この辺りでは、追いはぎや辻斬りが頻繁に出没ガーン

夜になるとその難を逃れるため、通行する人も途絶えてしまっていたそうですもやもや

享保6年(1721年)の夏には、一晩で17名が殺されるという辻斬りナイフがあり

そのことを憂いた池袋村の人々が、鬼子母神が安置されている

雑司が谷法明寺の日祖上人に供養をお願いし

法華経のお題目を刻した石塔を建立したのが始まりとされていますびっくり

 

 

石塔は道標としても使われ、四面塔尊と称され敬われてされてきました

元は、鬼子母神参道から板橋宿へと向かう「板橋みち」と呼ばれる道の脇に建立され

昭和31年(1956年)に現在の地に遷座したそうですうずまき

 

単なる浮浪者対策アセアセで囲われた柵のせいで重い雰囲気ガーン

(四面塔やサンシャインなど池袋について

さまざま都市伝説?があるそうだ・・・)

 

稲荷大明神神社については、創建の年代や経緯などは不明?

四面塔尊が建立された後にこの稲荷社を建立したとか、元からあったとか・・・アセアセ

 

ご祭神は、 (おそらく)宇迦之御魂命!?

 

ご住所は、 豊島区東池袋1-50-30