住吉神社、平成元年建立の石製「二の鳥居」神社

 

扁額は珍しい陶器製で中央区有形文化財キラキラ

額字は有栖川宮織仁親王のものだそうですびっくり

 

隅田川土手近く、朱の「一の鳥居」神社

 

佃島と人足寄場(浮浪人収容施設)として利用された石川島との

間に残された佃堀を渡るあしあと


目の前には、復元された旧石川島燈台

石川島灯台は慶応2年(1866年)に石川島人足寄場奉行が

隅田河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの利益の一部コインたち

人足の手で寄場南端に常夜灯を灯らせたそうですキラキラ

 

寛永3年(1626年)頃に船手頭(御船奉行)の石川八左衛門正次が

幕府から土地を拝領し寄洲に島を築き

石川島と呼ばれるようになったそうです

 

また、火付盗賊改の長谷川平蔵の提案により

寛政2年(1790年)に人足寄場が置かれることとなりました

ちなみに人足寄場は軽犯罪者や無宿の人々に対して仕事を教え

出所後に自立させることを趣旨とした施設だったそうです

 

さて再び、佃島へ戻り隅田川沿いを下るとあしあと

 

佃島渡船跡の碑カメラ

かつての佃島と対岸の佃大橋西詰付近との間に

正保2年(1645年)に通ったのが佃の渡し


明治9年(1876年)に渡し銭1人5厘で許可され

大正15年(1926年)には東京市に移管し

昭和2年(1927年)に無料の曳船渡船となりました
「佃島渡船」の石碑は、手こぎ渡船を廃止した記念として

この時期に建てられたものだそうです

 

佃島渡船は昭和31年(1956年)には、1日平均60往復

利用者は16,000人まで膨れ上がりましたびっくり

昭和39年(1964年)佃大橋の完成キラキラにより

佃島渡船は廃止されましたうずまき

 

佃まちかど展示館カメラ

千貫神輿や獅子頭のほか、240年前の明和年間の複製古地図や

佃例祭の写真、佃の街並み写真などが収蔵展示されていますうずまき

 

そして佃煮屋さんの並ぶ中あしあと、佃小橋に戻ってきましたキラキラ

 

石川島のタワマン群に目が行きがちですが、

橋を渡ると中程に注意書きが・・・!

住吉神社では3年に1回の本祭で使用する大幟の柱とそれを支える抱木を

佃掘の水中に沈めて保管しているそうですびっくり