鳥朝から門前仲町にやってきた地下鉄

 

もう人でにぎわうびっくりパン屋さんパンを抜け

 

やってきたのは伊能忠敬旧居跡カメラ

 

伊能忠敬は49歳の時に

息子に佐原の商家と村方後見(名主より偉いらしい!?)の家督を譲り隠居

翌寛正7年(1795年)江戸に出てここ深川に隠宅を構えトラック

 

当時日本の天文学の第一人者、幕府天文方 高橋至時の門弟となり

浅草の天文台へ通い天文学を本格的に学んだそうです鉛筆

 

 

至時は西洋の天文学にも精通し、改暦を行った人で

忠敬は隠宅に本格的な天文観測施設を整備てへぺろ

至時から学ぶとともに、恒星の高度角の観測など

天文観測に明け暮れたそうですうずまき

 

また忠敬は、深川(隠宅)から浅草(天文台)まで

歩くこと(歩測)で緯度1度の距離を導いたそうで

より正確にするため蝦夷地測量を経てうずまき

緯度1度を28.2里とし

現在値と比較しても誤差がおよそ1,000分の1だったそうですびっくり

 

勉強熱心な忠敬は「推歩先生」とも呼ばれ

どんな場所でも一歩69cmで歩いたと言われていますびっくり

 

今は、そろばん塾になっていました!

 

 

さて永代通りへ戻り下矢印門前仲町駅の交差点を過ぎあしあと

成田山 東京別院 深川不動堂うずまき

不動堂は、真言宗智山派の寺院で成田山新勝寺の東京別院にあたるそうです口笛

 

門前の人情深川ご利益通りへあしあと

 

永代寺

江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたそうですがガーン

明治初年の神仏分離により廃寺となりもやもや

旧永代寺の塔頭であった吉祥院がその名称を引き継ぎ

再興されたのが現在の永代寺だそうですうずまき

 

境内に入りますあしあと

 

 

左手が現在の本堂キラキラ

 

中央が旧本堂

平成23年4月までの本堂で

関東大震災と第二次世界大戦によりそれまでの本堂が焼失炎してしまったため

千葉県印旛沼のほとりにあった龍腹寺の地蔵堂を昭和26年に移築トラック

現在は江東区内最古の木造建築だそうです

 

深川開運出世稲荷神社

成田山新勝寺境内にある「成田山開運出世稲荷」のご分霊だそうです

 

 

ちなみのこの辺りの地名

「門前仲町」は、もともと「永代寺の門前町」という意味だったそうです口笛