霞ヶ浦サイクリングの思い出 | サイクリング天国いばらきを走ろう!HMBアウトドアクラブ

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It's a HOLIDAY! サイクリング天国いばらきを走ろう! 霞ヶ浦 Cycling Team
土浦市で学習塾経営のかたわら、霞ヶ浦周辺でサイクリングイベンドを開催したり、子どもたちの自然体験活動をプロデュースしたりしています。Since 1992


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土浦駅ビルにプレイアトレ「りんりんスクエア土浦」が昨日オープンし、茨城県と土浦市では、サイクリング客の誘致拡大を目指している今日このごろ、霞ヶ浦をだれよりも多く周ったと自負している私(HMBアウトドアクラブ会長)と、霞ヶ浦サイクリングとの思い出をちょっと書き留めたいと思う。

 

 

 昭和42年(1967年) 小学校4年10歳の頃、国道125号線・筑波街道を筑波山神社に向かって集団でサイクリングをした記憶がある。ギア付のスポーツサイクリング車を買ってもらい、ギアをカチカチさせながら走る爽快感、機械式のスピードメーターの数字で胸をドキドキさせたことを、今でも覚えている。

 
 主催者は、現「かわさき乗り物デパート」会長の川崎辰夫氏を中心に活動されていた自転車組合(?)だったのだろうか。その後の私のサイクリング人生は、このイベントに由来していると言える。当時は東京オリンピック後、スポーツ車の研究が進み、第2次サイクリングブームと言われていたらしい。尚、川崎氏は茨城県サイクリング協会の会長さんで、土浦市や茨城県のスポーツサイクリングの普及発展にご尽力をされており、私の様に「川崎自転車」から買った自転車で、サイクリングやツーリングの楽しさを体験した人たちは数え知れないと思う。
 
 
<現土浦東口側の道路 昭和39年・1964年頃>
 また、霞ヶ浦対岸の沖宿町の母実家へ1泊2日ツーリングをしたのも、10歳ことだった。1歳年上のショウちゃん(後に競輪プロ)を誘って砂利の田舎道を走るサイクリングは、片道たった15kmだったが、想像を絶するつらさだった。
 
 その頃から現在のようなアクティビティプログラムまで考えていた。初日は海蔵寺というお寺の池で、スルメの足を餌にしてエビガニ(ザリガニ)つりをした。入れ喰いでガンガン釣れ、大漁だった。赤くて大きいエビガニは、「マッカンチッカン」と呼んで、子どもの私にとっては、伊勢海老級のおやつだった。バケツに入った獲物を実家の祖母の所へ持っていくと、早速茹でてくれて、さらに真っ赤に変わったエビガニは食べるとプリプリとしてまさに伊勢海老。今でもあのエビガニの味は忘れられない。

 

 夜は祖母に蚊帳(かや)を吊ってもらい、縁側の雨戸を開放してもらい、霞ヶ浦の湖上を吹く風の心地よさを感じながら就寝。蚊帳は、現代のスクリーンテントといったところでしょうか。「オバゲでねーが。」というドキドキ感もあり、楽しい室内キャンプのようだった。

 

≪「コケ、コッコ―!」 ニワトリの鳴き声で起床!≫

 
 2日目は霞ヶ浦での湖水浴。まだ、ギリギリ霞ヶ浦がきれいだった頃である。苦手なクロールの練習。一人がコーチで、一人が選手。インチキクロールを泳ぎ、コーチにアドバイスを受けるという根性ドラマ的なもの。まさしく「東京オリンピックごっこ」である。なぜか楽しかったです。
 
 それと「タンカイ」と呼ばれた30センチ級の巨大なムール貝のような貝をとることが出来た。「タンカイ」も祖母が砂糖醤油で甘じょっぱく煮込んでくれた。エビガニ同様まさしく私の記憶する霞ヶ浦の味である。
 

 

<直立不動! 大好きな自転車記念写真>

    あれから50年、湖岸道路も整備され、駅ビルには情報発信基地が作られた。また、今年は世界湖沼会議が霞ヶ浦で再び開催される。各団体の老いも若きも霞ヶ浦への思い、取組みは素晴らしいものがある。そのパワーを一つに集め、郷土のそして世界の財産の霞ヶ浦を大切にしていきたいと考えている。

 
P.S
 実はこの前に、ガゴ付の小さい子供車で霞ヶ浦を回ろうと、おかあちゃんにおにぎり弁当を作ってもらい、いざ出発したのだが、あまりにも巨大なモンスター霞ヶ浦に驚き、しっぽをまいて帰ってきた秘密の経験もあったんです(^^ゞ
 

 

 で、余談だが、その頃九州に生まれたフクカイチョウ。カメラを片手に下駄でサイクリングとは、ビックリです。

 

 

その後、この女の子が筑波Univ.にご入学するとは m(__)m

 

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